コラム
自動運転レベル3はファンタジーに過ぎない:いきなり(3/3 ページ)
自動運転のレベル3が想定する「緊急時にはシステムがドライバーに介入を要求し、ドライバーはこれに『適切に』応答する」などというのは現実世界では想定すべきではない、たわごとだ。
先の事故例でいえば、いきなり「運転を代われ」とシステムに要請されパニックに陥った脳と視神経は、のろのろと蛇行している前方のクルマに全神経を集中し、「えらいこっちゃ」と全力で警戒警報を発令する。平行して隣のレーンを走っているクルマに注意を払う余裕なんぞはまったくない。そして何度も反復した「危ないと思ったらハンドルで避ける」という反射思考を瞬時に引き起こしてしまうのだ。それはきっとあなただけではない。
こうした自動運転システムから運転者への突然のコントロール引き渡しに伴う「認知のトンネル化」と「反射思考」による事故の発生というパターンは、プロが操縦する航空機でさえも幾たびか大きな事故を引き起こしていることが分かっている(そのため今はそうした状態を想定した設定が、パイロットの訓練に取り入れられるようになっている)。
運転のプロでもない一般ドライバーが、そうした訓練もなしに、狭い地上の道路で自動運転走行中に、いきなりクルマのコントロールの責任を引き渡されたら、そうしたパニック状態にならないほうが稀なのではないか。それが問題を引き起こさないのは、訓練された職業運転手が限定された区間で「自動運転」するケースのみだ。
つまり自動運転レベル3が想定している世界はファンタジーだと言わざるを得ないのだ。クルマメーカーや自動運転システムベンダーはきっと、一挙にレベル4を実現することに 懸命になっているはずだ。 (日沖博道)
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