在庫はたくさんあるのに、なぜ“トイレットペーパー行列”ができたのか:スピン経済の歩き方(5/7 ページ)
先週末、トイレットペーパーやティッシュペーパーなどを購入するために、ドラッグストアや量販店などで行列ができた。「デマ」と分かっているのに、なぜ多く人が並んでいたのか。筆者の窪田氏はこのように分析していて……。
何かを守るためには、何かを犠牲に
そんな「思考停止」を象徴するのが、病院や役所の人たちに「検査を受けさせろ!」と迫り、薬局店員に「マスクはいつ入荷するんだ!」とキレる人々だ。彼らに怒りをぶつけても無意味だが、もはや自分の頭で考えられず、「みんな」の不安にひきずられてパニックになっているのだ。事実、薬局店員などから「新型コロナよりも人間が怖い」という声が漏れている。
戦時中、日本のいたるところでこういうパニックが起きた。善良な市民が、戦争反対を叫ぶ「非国民」を追いかけ回してリンチをして、子どもが女の子ばかりの家は、お国のために役立っていないと町内で陰湿なイジメにあった。
これを「過ぎた話」だと笑っていられない。それは、在庫のあるトレイットペーパーに群がり、マスクをめぐってストリートファイトを繰り広げ、電車内でせきをした人間にキレる人々の姿を見れば明らかだ。
では、どうすれば「みんな至上主義」から抜け出すことができるのか。
個人的には、社会全体で「トリアージ」の考え方を普及させていくしかないと思っている。これは救急医療の世界で使われる考え方で、大事故・災害などで同時に多数の患者が出たときに、手当ての緊急度に従って優先順をつけることだ。
「命に優先順なんてない!」と怒りに震える方たちもいらっしゃるだろう。もちろん、「みんな」をすべて助けられれば理想だが、緊急事態の中でそれをやっていたら助かる命も助からなくなるのだ。このような考え方は「危機」に立ち向かう政治家にも企業経営者にも必要である。「危機」が起きた際に、「みんな」を守れれば理想だが、現実は難しい。つまり、何かを守るためには、何かを犠牲にしなくてはいけないということだ。
これまで筆者は「危機」に見舞われた政治家、役人、企業経営者からの相談に乗る機会がたびたびあった。そこで気付くのは、「危機」の真っ只中にいてもリスクを取りたくないリーダーが非常に多いことだ。これを守りたいのなら、これをあきらめるべきというコミュニケーションのプランをこちらが提案をしてもムニャムニャ言って何も決めらない。社会、取引先、有権者など外の人間だけではなく、身内などすべての人にいい顔をしたい思いが強いので、「優先順位」をつけることができないのだ。
余計な犠牲を払いたくない。なるべくダメージをゼロにしたい。責任を背負い込みたくない。余計な一言を言って揚げ足を取られたくないなど、そういうムシのいい「守り」をするのが、危機管理だと勘違いをしている人が非常に多いのだ。
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