インドのTikTok禁止と表現の自由:星暁雄「21世紀のイノベーションのジレンマ」(4/4 ページ)
インド政府が、動画投稿アプリTikTokをはじめ59種類の中国製スマートフォンアプリの利用を禁じた。インド政府の命令に従い、AppleとGoogleはスマートフォン向けアプリストアから問題とされたアプリを取り下げた。TikTokもサービス提供を中止した。この事件は、単なる2国間の対立というだけでは収まらない問題を含んでいる。インターネット上の人権――表現の自由――という新しい概念と、国家の利害とが衝突しているのだ。
ちらつく「サイバー主権」の影
インドのアプリ禁止措置に関連する報道で、気になる言葉があった。「サイバー主権(Cyber Sovereignty)」という用語である。これは、「国家は自国内のインターネットをコントロールする権限を有する」との考え方だ。
13年、エドワード・スノーデン氏が、米国NSA(国家安全保障局)がインターネットの大規模監視を実施していたことを暴露した。米国に対抗するため、抑圧的な政権を持つ国々は自国のインターネットへのコントロールを強化した。このような取り組みを指す言葉が「サイバー主権」である(ブルース・シュナイアー氏の著書『超監視社会』より)。
サイバー主権を唱える国の筆頭に名が挙がるのは中国である。中国は、グレートファイアウォールなど独自の技術を駆使して、国内のインターネットを厳しい言論統制の元に置いていることで知られている。14年11月、中国政府が主催して烏鎮で開催された会議「World Internet Conference」では、「すべての国のインターネット主権(Internet sovereignty)を尊重する」ことを盛り込んだ宣言文の草案が配られたが、参加者らの抗議を受けて破棄される出来事が起きた(Wall Street Journalの記事)。インターネット主権もサイバー主権も、「インターネットを国家がコントロールする権利を持つ」という主張のために使われている用語である。
インド政府の中国アプリ禁止措置に関連して発表された多くの記事の中に、インドが中国のアプリを禁止した事を「サイバー主権」の有効活用であると持ち上げる記事が混じっていた。記事の著者はインド人ではなく中国人らしいが、論調は一見するとインド政府寄りだ。「民主主義国家も、中国の脅威から自国を守るために積極的にサイバー主権を守るべきだ」と述べ、インド政府による中国アプリ禁止を賞賛している。ただし、この主張には落とし穴がある。国どうしの摩擦が生じるたびにアプリやサービスを禁止していけば、インターネットの分断は進み、表現の自由は失われていく。それは中国が唱える「サイバー主権」の拡大に他ならない。インターネットコミュニティが作り上げた普遍的で自由なインターネットは損なわれてしまう。
近代的な国家主権の概念は1648年のウェストファリア条約で定まったといわれる。一方、人権はずっと新しい概念だ。第二次世界大戦の記憶がまだ新しかった1948年、国連は「世界人権宣言」を採択し、普遍的な「すべての人の権利」を国際社会が受け入れた。
インターネットの上の表現の自由はさらに新しい。2010年から12年にかけて中東各国で「アラブの春」と呼ばれる民主化活動が起こった。そこでインターネットが重要な役割を果たした事を受け、11年の国連特別報告者報告書がインターネット上の表現の自由の重要性を文書化(PDF)した。14年にブラジルで開催されたインターネットガバナンスの国際会議NETmundialでは、決議文(PDF)でインターネット上の表現の自由、結社の自由の重要性を明記した。16年の国連人権理事会決議(PDF)でインターネット上の人権(表現の自由、結社の自由)が確認された。インターネット上の人権は、インターネットコミュニティと国際社会(国連)の両方が認めたばかりの、できたてホヤホヤの概念なのである。
21世紀に確立して間もないインターネット上の表現の自由が、17世紀の概念である国家主権により脅かされている――これが、今のインターネットで起こっている出来事なのだ。
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