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インドのTikTok禁止と表現の自由星暁雄「21世紀のイノベーションのジレンマ」(3/4 ページ)

インド政府が、動画投稿アプリTikTokをはじめ59種類の中国製スマートフォンアプリの利用を禁じた。インド政府の命令に従い、AppleとGoogleはスマートフォン向けアプリストアから問題とされたアプリを取り下げた。TikTokもサービス提供を中止した。この事件は、単なる2国間の対立というだけでは収まらない問題を含んでいる。インターネット上の人権――表現の自由――という新しい概念と、国家の利害とが衝突しているのだ。

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インターネットの表現の自由の視点

 「インターネット上のソーシャルメディアの禁止」は目を引く出来事だ。それは表現の自由――国際社会が認めたすべての人の権利(人権)の、不可分な一部を侵害することにつながりかねないからだ。このような禁止措置が拡大するとインターネットの意味が変わってしまう。

 インドのニューデリーに本拠を置くNGOであるIFF(the Internet Freedom Foundation、インターネット自由財団)は、インド政府の中国アプリ禁止の措置について「59のアプリを禁止することは、前例を作ることになる」とする声明文を発表した(IFFの声明文)。IFFは、国境紛争という非常事態を背景として、インドでは前例がない規模でインターネット上の表現の自由の侵害が行われているのではないかと懸念を持っている。

 IFFは、今回のアプリ禁止について「インドにおけるWebサービスをブロックする権限が途方もなく拡大している憂慮すべき前例」と指摘し、アプリ禁止措置の法的手続きを検証できるよう情報開示を求めている。

人権フレームワークで考える

 ここで、IFFがインド政府に対して法的手続きに関する情報開示を求めたことの意味を考えてみたい。鍵となるのは人権フレームワーク(人権に関する理論体系)である。

 人権を定義する基本文書である「世界人権宣言」の第19条は、表現の自由について次のように記している(訳文は国連広報センターより)。

 "すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。"(訳文ママ)

 表現の自由は、決して奪えない人間の尊厳に由来する権利の一部と定義されている。そして、このような権利を制約できる場合がたった一つだけある。それは「世界人権宣言」第29条2に記されている。

 "すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。"(訳文ママ)

 要約すると、人権(ここでは表現の自由)を制約できるのは、他者の人権を守るための法律だけである。ここでアプリ禁止という人権の制約にあたり「どの法律をどのように適用したか」については政府に説明責任がある。法的手続きの内容を問い合わせることは、この種の問題に異議を唱えるための正攻法といえる。

 ここから先は、法的手続きの内容が開示されるか否か、その開示内容はどうかによって話が変わってくる。人権フレームワークに従って考えるなら、アプリ禁止が妥当であるためには「TikTokを始めとする中国製アプリがインドの民衆のプライバシーを侵害することやその他の悪影響による人権侵害の度合い」が、「インドの民衆から中国製アプリによる表現の自由を奪うことによる人権侵害の度合い」を明らかに上回り、なおかつアプリ禁止が正当な法的手続きに従っている必要がある。このような検証に必要なだけの情報が開示されるかどうかはまだ分からない。

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