MIRAI 可能な限り素晴らしい:池田直渡「週刊モータージャーナル」(3/8 ページ)
すでに富士スピードウェイのショートコースで試乗を試しているトヨタの新型MIRAIを借り出して、2日間のテストドライブに出かけた。
ただし、テスラのあの階段を踏み外したような加速を期待すると、MIRAIにはそれがない。これは企業のポリシーの問題だ。テスラはそういう「驚きを人の歓び」だと考えており、トヨタは「人が心地よいと思う加速とはどういうものか?」を考えている。
言い方を変えれば「興奮や狂騒を運転に取り入れるべきか否か」という話である。MIRAIのチーフエンジニアは「そういう性能を与えることは可能だ」と断言したが、一方で万人にあまねく提供する「トヨタの製品として、そういう性能を与えることが適切かどうか」という判断があったことを述べている。
単純化すれば、時速100キロまで2秒で加速することを是とするか非とするかの問題である。筆者の私見としては、そんな加速を一般化してはいけないと思う。フェラーリやランボルギーニを買える人だけのものにしておけばいい。そういう意味では今のテスラは高額商品で、多分に嗜好(しこう)的商品なので、許されると思う。しかし例えばEVファンのいうように、そんな性能のものがあっという間に巷(ちまた)を席巻して、一般化するというのであれば、絶対反対である。高齢ドライバーが踏み間違いを起こした時何が起きるか。
なので、件のチーフエンジニアには「戦略上対抗措置が必要なら、GR MIRAIを限定で出して、限られたユーザーに向けてそういう性能を与えればいいのではないか」と伝えた。実際がプログラムだけの変更であったとしても200万円位上乗せすればいい。それを乗り越えてでも超加速が欲しい人が強い意志の下で買うべきで、そんな加速を求めていない人にうっかり与えるべき性能とは全く思わない。ありとあらゆるモノが誰にでも手が届くようになる社会はリスクが高い。超加速を手に入れるのは、それを心から欲する限られた者だけに絞っておかないと、今以上に「クルマは走る凶器」と誹られる時代がやってきかねない。
そもそもCO2削減のための電動化において、エネルギー消費を楽しむ加速という概念は主流にすべきではない。どうしても加速性能の中毒から逃れられない人が、せめてもの免罪符として、EVやFCVを選ぶというはなはだグレーな領域の話であり、筆者にいわせれば「クルマの楽しみの中で、加速なんて極々一部でしかない」と思う。
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