喫茶店数は30年で半減! 「純喫茶」はこのまま絶滅してしまうのか:スピン経済の歩き方(5/6 ページ)
「喫茶店」の休廃業・解散が過去最多を記録――。東京商工リサーチが発表したわけだが、昭和レトロの雰囲気が漂う「純喫茶」も衰退していくのだろうか。
「文化」を言い出した産業
例えば、戦前の男性たちがハマったカフェーは、表面的に絶滅したが、戦後にキャバレーとして生まれ変わっている。喫茶店の世界でもそのDNAは美人喫茶やノーパン喫茶に受け継がれて、さらには時代やニーズに合わせてメイドカフェのように枝分かれもしている。
純喫茶もこれと同じようなもので、時代によってその言葉の意味することがまったく違ってきているのだ。
「ゆったりとした時間が流れている」とか「昭和レトロなインテリアやメニューがおしゃれ」というのが純喫茶だという認識はせいぜいこの20年程度のものだ。筆者も30年前に高校生だったとき、今、純喫茶愛好家の方たちがこよなく愛する池袋や上野の名店に通っていたが、当時はそんなおしゃれな感じはカケラもなかった。店内はタバコの煙でモヤがかかっていて、見るからにそっち系の怖い人々がボソボソと打ち合わせをして何かの取引をするなど怪しいムードが漂っていた。
そのように純喫茶の常連だった経験から言わせていただくと、純喫茶を「文化」などと持ち上げるムードには危ういものを感じている。時代によって柔軟に姿や役割を変えていくのが喫茶店なのだから、それを無理に「文化」などと枠にハメて、敷居を高くしてしまうと、逆に一般人から遠いものになってしまう恐れがあるからだ。
「着物」が分かりやすいが、「文化」を言い出した産業というのは往々にして衰退が歯止めにかからない。
着物という服飾文化を本当に広めたいのなら、時代の変化に合わせて、柔軟に新陳代謝を繰り返していかなければいけない。つまり、ユニクロやワークマンのような店で気軽に購入できて、洗濯もラクで普段使いできるようなデザインに変更するなどして、「新しい着物」へと進化させていかなければいけない。
だから、作務衣や「和ファッション」は少しずつではあるがユーザーに浸透している。
しかし、「文化を守れ」「着物の灯を絶やすな」的な上から目線の説教調では、着物ファンは従うが、一般人は足が遠のく。江戸時代の人々が着物だったのは、「文化を守れ」と言われていたからではない。それが当時の庶民のライフスタイルにフィットしていたからだ。敷居を高くしても「文化」というものは広まらないし、ましてやそれを後世に残すことなどできないのだ。
関連記事
- なぜ某カフェチェーンは時給を上げないのか 「安いニッポン」の根本的な原因
アルバイトの応募が少ない――。某カフェチェーンから、このような嘆きの声が聞こえてきた。人口減少の問題もあるだろうが、なぜバイトが集まらないのか。その理由は……。 - なぜ「プリウス」はボコボコに叩かれるのか 「暴走老人」のアイコンになる日
またしても、「暴走老人」による犠牲者が出てしまった。二度とこのような悲劇が起きないことを願うばかりだが、筆者の窪田氏は違うことに注目している。「プリウスバッシング」だ。どういう意味かというと……。 - 「日本のアニメ」は家電や邦画と同じ道を歩んでしまうのか
技術や品質が「下」だとみくびっていた相手に、いつの間にか追い抜かれてしまう。そんな悪夢がやって来るのだろうか。白物家電や邦画が追い抜かれたように、「日本のアニメ産業」も負ける日がやって来て……。 - 「安くてうまい」をキープした“企業努力”が、庶民を長く苦しめてきたワケ
ステーキや牛丼などが続々と「値上げ」をしている。世界的に肉の生産が落ち込み、供給が追いつかないことが原因だが、多くの外食チェーンは長きにわたって価格を据え置いてきた。その結果、何が起きていたのかというと……。 - 登山家・栗城史多さんを「無謀な死」に追い込んだ、取り巻きの罪
登山家の栗城史多さんがエベレスト登頂に挑戦したものの、下山中に死亡した。「ニートのアルピニスト」として売り出し、多くの若者から支持を集めていたが、登山家としての“実力”はどうだったのか。無謀な死に追い込まれた背景を検証すると……。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.