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「人生のピークは慶應合格」「会社では三軍扱い」――社長の息子が味わった挫折と、起業までのデコボコ人生(3/3 ページ)

飲食業や製造業など、世の中には無数の「現場」が存在する。現場の生産性向上を手助けするサービス「カミナシ」を立ち上げた男がいる。事業を軌道に乗せるまでの紆余曲折とは? 今回は前編。

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プライドがつぶされた

 しかし、その諸岡氏を完膚なきまでにたたきのめしたのが、リンクアンドモチベーションがインターンシップとして開催していた2泊3日のキャンプだ。

 学生たちの中心になれるだろうと乗り込んだものの、レベルが違った。「世界会議の議長やってます」「バンドでメジャーデビューしました」――すさまじい経歴や実力を持つ同級生たちの輪からはじき出され、ショックのあまり、他の学生の目もはばからず、何度か涙を流してしまった。

 「俺って大したことない人間なんだ、ということを思い知り、一気に自信を失いました。そこからの十数年は、個人としては、自信を取り戻す旅だったのかもしれません」(諸岡氏)

 卒業後はリクルートスタッフィングに就職する。入社面接では「家業を継ぐために3年で辞めます」と公言し、事業家としての修行のつもりで、気を引き締めなおしての入社だった。

 しかし、入社直後、営業のロールプレイングで、暗雲が垂れ込める。同期が50〜60人いるなか、片手で数えられる「三軍」に割り振られたのだ。

 「同期の下馬評は『モロは元気いいから、一軍だろうな』という感じだったし、元気よくやれたと思ったら、『全然ダメだよ』と。

 自分のしゃべりたいことをひたすらしゃべって、相手から聞き出すことがまったくできていなかった。今でこそ、相手の話を聞くことが得意になりましたが、最悪の滑り出しでしたね」(諸岡氏)

 少しずつ営業としての力をつけていくも、満足する結果は残せなかった。それでも宣言通り、3年で辞職し、いよいよ、ワールドエンタプライズに入社する。


諸岡氏の人生チャート

 そして、現場での体験が、後のカミナシというヒットを生み出すことになるのだった。

後編に続く】

著者プロフィール

唐仁原 俊博(とうじんばら・としひろ)

ビジネス系フリーライターの活動と並行し、総務省「地域おこし協力隊」制度を利用して、人口5300の岩手県西和賀町役場に勤務。さらに休耕地活用のためヤギの飼育を開始。ライター、地域おこし協力隊、ヤギ飼いの三足のわらじに加え、日本初「ヤギがいるコワーキングスペース運営」という四足目を準備中。


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