どうするGap 思い出深い銀座の旗艦店は閉店 このまま日本からも撤退してしまいそうな苦しい事情:長浜淳之介のトレンドアンテナ(1/4 ページ)
7月に銀座の旗艦店を閉じたGAP。コロナ禍の影響も指摘されるが、長らく苦境が続いていた。北米で期待感のある事業も日本ではなかなか難しそうな事情があり、このままいけば日本撤退もありそうだ。
ギャップ(Gap)の退潮が止まらない。
日本で「唯一」の旗艦店として2011年3月から営業してきた「Gapフラッグシップ銀座」が、7月31日に閉店した。同店は銀座の中心部・銀座4丁目の晴海通りと並木通りの交差点にあった。周囲は「アルマーニ」「コーチ」「エルメス」「グッチ」「ポールスミス」「ベルサーチェ」など、まばゆいばかりのハイファッション店が集積しているエリアだ。同店のオープン当初、ギャップはファストファッションの開拓者として、並み居るハイファッションに割って入り、ファッションの世界を変革する意気込みを見せつけたように映った。
ギャップから始まったファストファッションの銀座進出
ファストファッションの銀座進出は、ギャップが最も早く1995年までさかのぼる。数寄屋橋阪急(現在東急プラザ銀座がある場所)に、日本1号店として出店したのだ。
次いでザラ(ZARA)が03年4月に進出。さらに、ユニクロが05年10月に中央通りへ出店して、日本を代表するファストファッションブランドであることをアピール。08年9月にはスウェーデンのH&Mも進出、オープン日には推定5000人もの大行列ができて衆目の度肝を抜いた。
その後も銀座におけるファストファッションの盛り上がりは続く。09年12月にアバクロンビー&フィッチ(アバクロ)が出店。同店もオープン時には約800人の行列ができたとされる。フォーエバー21も翌10年4月、松坂屋銀座店(現在ギンザ・シックスがある場所)のインショップとして、オープン。こちらも開店前には約1000人の行列があったと報じられた。
このように90年代後半〜10年代前半にかけて、ギャップが牽引する形で世界の主要ファストファッションが銀座へ続々と進出した。当時の日本はデフレのどん底にあり、安価で買えるファストファッションに追い風が吹いていたことが大きい。
その後、11年にギャップは数寄屋橋阪急の店舗を閉めてGapフラッグシップ銀座を新オープン。世間のファストファッション熱は収まらず、オープン日には徹夜組を含めて長い行列ができた。ギャップとのコラボジーンズを発売した、人気歌手のアヴリル・ラヴィーンさんも来日してテープカットのイベントを行うなど、話題性の大きさも記憶に新しい。
まだまだ銀座に出店するファストファッションは続く。オープン時に400人の行列ができたGUの進出は翌12年3月。「ポストユニクロ」と近年いわれ出したワークマンは、GUに10年遅れて22年4月「#ワークマン女子」として進出している。現在は「ワークマン カラーズ」1号店に改装中で、9月1日にオープン予定。ブランドの価値を向上させるために銀座へ旗艦店もしくは先端店を出店するという発想は、今でも健在のようだ。
ちなみにしまむらや姉妹ブランドのアベイル、アダストリアの主力ブランドであるグローバルワークなどは、銀座に出店していない。わざわざ家賃の高い場所に出さなくてもよいといった判断か。
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