『信長の野望』誕生秘話 “斜陽産業の社長”が1000億円企業を生み出すまで(1/2 ページ)
『信長の野望』はなぜ誕生したのか。どのような戦略が、後の1000億円企業への誕生につながったのか。シブサワ・コウことコーエーテクモホールディングスの襟川陽一社長に聞いた。
「信長の野望」「三國志」シリーズをはじめ、歴史シミュレーションゲームのヒット作を世に出してきたコーエーテクモ。2022年度の連結決算では売上高784億円、総資産2100億円強に達する世界的なゲーム企業だ。事業は成長を続けており、25年3月期には売上高1000億円を見込む 。
だが、そのルーツは栃木県足利市の染料工業薬品問屋だ。前身となる「光栄」は1978年に創業。シブサワ・コウこと社長の襟川陽一さんが家業を受け継ぐ形で創業した。繊維産業が既に斜陽化していた時代背景もあり「本業での事業展開には限界があった」と振り返る。こうした苦境にあっても襟川さんは書店に通い、松下幸之助や稲盛和夫など、一流経営者の本を読みあさり、どうしたら一人前の経営者になれるかを模索し続けた。
その後パソコンとの出会いがあり、83年に出世作『信長の野望』を世に出す。『信長の野望』は単なる国取り合戦ゲームではなく、内政や外交を展開し他国より有利に進める「領国経営ゲーム」だ。その完成度を高め続け、ハーバード・ビジネス・スクールでは経営の教材にも使われた。
『信長の野望』はなぜ誕生したのか。どのような戦略が、後の1000億円企業への誕生につながったのか。シブサワ・コウことコーエーテクモホールディングスの襟川陽一社長に聞いた。
夫人がパソコンをプレゼント ベーシックとアセンブラ言語を独学
――コーエーテクモゲームスは2009年の経営統合前は「光栄」という会社でした。もともと足利市にある染料工業薬品の卸売企業だったんですね。
家業で染料工業薬品の問屋をしていました。1978年に家業を継いだのですが、当時は繊維産業が斜陽の時代で、かつ染料工業薬品業界は過当競争によって、非常に厳しいものがありました。一生懸命やってもそれが報われる状況ではなかったんですね。
そういった状況でしたから、レコードレンタル業など、他業種の展開も模索していました。当時は本屋に行っては、松下幸之助や稲盛和夫、ピーター・ドラッカーといった当代一流の経営者の本を読みあさっていました。自分は何が足りないのだろう、事業をうまくいかせるために経営者は何をしたらいいのだろうと勉強していたんです。
――そこで80年10月、30歳の誕生日プレゼントに、奥様の襟川恵子会長からパソコンをプレゼントされたことが後のゲーム会社につながるソフト開発の始まりだったのですね。
当時は「マイコン」と呼ばれていたのですが、私が「欲しい欲しい」と言っていたら、家内がプレゼントしてくれたんですね。そのパソコンを使って、最初は業務用ソフトの受託開発の仕事をしていました。
――パソコンが欲しいと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
本屋さんに行って経営者の本を探しているうちに『アスキー』『マイコン』『RAM』『I/O』といったパソコン雑誌を見つけ、手にしたのがスタートでした。当時はオフィスオートメーション、「OA化」という言葉が流行っていた時代で、自分の事業にも役に立つのではと思ったのがきっかけですね。
――プレゼントといいますが、当時のパソコンは安いものではなかったはずです。
「MZ-80C」というシャープ製のパソコンを買ってもらったのですが、28万円ぐらいしました。当時は初任給が8万円ぐらいの時代ですから、給料3カ月分以上の値段でした。さらにそこからプリンタなどを付けると、もっと高くなってしまいます。高級なおもちゃでしたから、これは仕事に役に立てないと申し訳ないと思い、業務用のソフトを作る事業も始めました。
――ソフト開発にはプログラムが欠かせないわけですが、どこで学んだのでしょうか。
ベーシックと、アセンブラ言語を独学しました。当時のパソコン雑誌には、ベーシックのコードのリストや、アセンブラ言語のコードリストがずらっと載っていたんです。事務用のものもゲームも、ソフトのプログラムが雑誌に載っていて、ソフトを導入するには自分でそのコードを打ち込んで自作する必要がありました。
ソフトをパッケージ化したものだと、そのプログラムの情報が入っているカセットテープが通信販売されていましたが、高価なものでした。ですから当時は、雑誌を見ながら自分でプログラムを組むのが当たり前だったんですね。
プログラムミングは自分の性格にすごく合っていました。プログラミングってすごく論理的ですから、それが自分の思考にマッチしていたんです。自分はもともと文系で、大学も商学部を出ているのですが、数学が大好きでした。プログラミングがとにかく楽しくて楽しくて、徹夜していても全然苦になりませんでした。それで、昼間は事務用のソフトを受託開発し、夜は趣味でゲームソフトを作っていたんです。
――受託開発はどんな仕事をしていたのでしょうか。
パソコンによるOA化に取り組んでみようという中小企業が結構ありましたので、当時は、そういった企業を中心に業務を請けていました。パソコンを導入してもプログラムをする人がいなかったり、市販のソフトだと細かい設定まで手が届かなかったりといった理由で、特注の依頼が来たんですね。在庫管理や工程管理といった管理ソフトを主に開発していました。
――B2Bのソフト開発から、その後B2Cのゲームソフト開発へと転換していくわけですが、何がきっかけだったのでしょうか。
夜中にゲームを作っていたのですが、自分は歴史好きで特に戦国時代が好きだったので、戦国武将をテーマにしたオリジナルのゲームを作ろうと思いました。それで『川中島の合戦』というゲームを開発していたのですが、こうしたゲームを世に出せば戦国武将の戦いに興味を抱いてくれるのではとの思いでしたね。
それで作ったゲームをテープにダビングして、通信販売をしたんです。当時これは特別なことではなく、個人で開発したゲームを通信販売していることが多かったんです。私は会社の名義でやっていましたから、当初から「光栄」という名義で販売していました。
――『川中島の合戦』のリリースが転機になったわけですね。
出した時は数十本売れればいいかなと思っていたのですが、1万本以上も売れました。反響もすごく、お客さまからの電話や手紙の対応もしました。これだけ楽しんでくださるお客さまがいらっしゃるんだと実感しましたね。ゲームのプログラムからユーザーサポート、そしてダビングまで全て私一人でやっていました。『川中島の合戦』の売上高だけでも、染料だけの年商の数倍を上げました 。
――一人で事業を回していたのですね。
まだ趣味の活動の一環でしたし、大体1カ月もすれば1本ゲームができちゃいますので、1人月でやっていました。お客さまからも「今度は織田信長を主人公にして」「秀吉を主人公にして」といったような要望も多数いただきました。お客さまの声を聞いていくと、歴史好きの中でも、やはり皆さん戦国時代が好きなんだと実感しましたね。考えてみれば、NHKの大河ドラマでも、多くが戦国時代を舞台にしていますから納得です。
――そこからゲームソフト開発の専業にしようと思ったのは何がきっかけでしたか。
『川中島の合戦』で初めてゲームソフトの通信販売を始めて、非常によく売れていました。お客さまから「次のゲームを作ってください」という要望が来て、その要望にお応えする形で次々とゲームを作っていきました。そうするとまたお客さまからいろいろな反応や要望をいただいて、次回作に生かすといったサイクルを回していました。こうしていくうちに、非常に楽しくてやりがいのある仕事に出会えたと確信しました。
83年に『信長の野望』を発売し、大ヒットになったタイミングで染料工業薬品の販売は止めました。
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