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タニタの「働き方革命」  原動力となった3代目の多彩なキャリア

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 体重計や体組成計など健康計測機器の大手メーカー・タニタが、働き方改革を進めている。2017年には希望する社員の個人事業主化を開始。人材の多様化に努めている。この仕組みを「日本活性化プロジェクト」と名付けた。

 推し進めるのは、08年に社長に就任した谷田千里氏だ。谷田社長によると、社長就任以前から待遇面を中心に、社内制度に課題意識があったという。

 自身は創業家の出身だが、次男ということもあり、もともとは3代目として社長に就任する予定ではなかった。立教大学の附属高校にいながらも父への反発もあり、そのままの進学はせず、調理師専門学校で調理師免許を取得している。その後、九州の大学に進学。シンクタンクに就職してコンサルタントとしてのキャリアを歩んだ。

 「外にいたからこそタニタの課題が浮き彫りとなった」と話す谷田社長。今でも「武闘派」として生きるその仕事観はどこから来るのか。改革の原動力を聞いた。


谷田千里(たにだ・せんり) タニタ代表取締役社長/1972年大阪府吹田市生まれ、51歳。1997年佐賀大学理工学部卒。船井総合研究所などを経て2001年タニタ入社。2005年タニタアメリカ取締役。08年5月から現職。レシピ本のヒットで話題となった社員食堂のメニューを提供する「タニタ食堂」事業や、企業や自治体の健康づくりを支援する「タニタ健康プログラム」などを展開し、タニタを「健康をはかる」だけでなく「健康をつくる」健康総合企業へと変貌させた。著書に『タニタの働き方革命』(日本経済新聞出版社)がある

親の敷いたレールに従わなかった

――谷田社長はタニタ創業家の3代目ですが、佐賀大学を卒業後、そのままタニタに入社はせず、さまざまな遍歴をたどっています。タニタ入社前の経歴から教えていただけますか。

 私は小中高を東京の立教学院(立教小学校、立教池袋中学校・高等学校)で過ごしていました。大学もそのまま進学すれば立教大学だったのですが、どうしても親の敷いたレールに従うのが嫌で、大学には行かず手に職をつけようと、東京都内の調理師専門学校に進みました。

 その後椎間板ヘルニアを発症してしまい、腰を悪くして調理師として働く夢は絶たれました。そのため、家庭科の教員を目指して佐賀県の短大に入りました。短大では、家庭科の教員免許のほか、栄養士の資格も取得しています。短大卒業時に、恩師の勧めで佐賀大学理工学部に編入しました。

――親への反発があったわけですね。一方で、家庭科の教員免許や調理師や栄養士など、タニタの事業と関連性があるのも面白いですね。

 調理師や栄養士としての知識は、12年に「丸の内タニタ食堂」の事業を展開した際に役立っています。1997年に佐賀大学を卒業した後は、アミューズメント関連会社を経て 、98年に船井総合研究所(船井総研)に入社しました。

 船井総研で多くのことを学びました。経営コンサルタントとして全国の経営者と会い、一緒に経営について考えました。コンサルタントとして会社のトップの方々と会っていくうちに、子どもの頃から反発していた父に対して「実はすごい人だったんだ」と尊敬の念が湧いてきましたね。

――船井総研ではどのようなことを学んだのでしょうか。

 会社のトップの考え方や、経営の考え方を学べました。仕事で提案書を書いていたのですが、数多くこなしていくうちにMBA(経営大学院)的なスキルも身についていったと思います。

 この経験は今の仕事にも生きています。経営をする上での考え方の方法論を会得していますし、それがあるので「こういうケースの場合は大体こういう考え方だな」と類推できます。

 経営コンサルタントとして会得したことは、父も評価していたようです。船井総研にいた時から、帰省すると父から経営のアドバイスを求められるようになりました。いつしか父との共通の話題が「経営」になっていましたね。数年後、父から事業を手伝うように言われ、悩んだ末の01年にタニタに入社するのですが、父から声をかけられたのは船井総研時代の会話がきっかけだったのかもしれません。

――船井総研にいた経歴があるからこそ、タニタ入社後は社内の課題が浮き彫りになって、はっきりと見えたわけですね。

 タニタに入社して私が感じたのは、物事を進める方法論や価値判断基準なども確立されていないということです。コンサルをやっていた身からすると「何だこれ」という状態でした。改善するところだらけだったのですね。

 ここは船井総研の経験がプラスに働いた部分だと思う一方、人への接し方については悪く働いた部分でもあると思います。

――コンサル経験のどんな点がマイナスに働いたのでしょうか。

 私は大学時代レスリング部に所属していて、体育会系特有の、先輩が言ったら不合理なことでも聞かなければいけないという世界を経験していました。その後、船井総研に入社すると、私のような新入社員が会議で発言したとしても、それが合理的な内容であれば「谷田君の意見が正しいからこれにしよう」といって通ってしまうのですね。

 私がこの時に誤解したのは「学生と違って社会人ってこういう世界なのだ」と思い込んでしまった点ですね。ですから、タニタに入社してからも、ずっと周りに対して正論を吐いていました。でも今では、船井総研がプロフェッショナル集団で特殊なだけだったからだと分かっています。

――タニタに入社してからもなかなか大変だったと伺います。

 父に請われてタニタに入社したものの、人事担当役員から「だいたい君は年次的にこのあたりだから」と、船井総研時代に比べ低い給与を提示されました。最初からあまりゴネるのも心証が良くないと思い、その時は渋々受け入れたのですが、仕事を始めてからも「納得できない」気持ちがくすぶり続けました。

――こうした経験が、社長になってからの社員の個人事業主化などの施策にも生きていそうです。

 同族経営の会社が悪くなる、倒産するなど不振の原因で多いのは親族争いです。私には兄弟がいますので、争いになって会社が傾く原因になるようならば、自分が社長を継ぐ気はないと宣言していました。一社員という意識ではありましたが、それでもタニタのために一生懸命に働き、それなりに結果も出しているのに「なぜだ」という思いが事あるごとに浮かびました。まさに「報われていない」感でいっぱいでしたね。

 こうした経験から、貢献度に応じてきちんと報酬が支払われることには人一倍こだわりを持っていました。社長になってからは、個々人が裁量権を持ち、モチベーションを高められる組織を作っていきたいと考えるようになりました。今はチームでの評価についても力をいれています。

――チーム評価とはどんな取り組みなのでしょうか。

 まだ実践段階まで到達していないのですが、例えば営業の場合、タニタだと1人で3社といったように、複数の法人を担当しています。でも、それはよくよく考えると、3人集めて、3人で9社の法人を担当する制度にしても変わらないのです。

 特に今の「Z世代」と呼ばれる若い世代の人は、1人3社といったように、個々人に責任を負わされるのを嫌う傾向があると感じています。また、チーム制で「これをやりなさい」というようにした方が働きやすいのではとも思っています。そういった工夫を今、取り入れようとしています。

――23年12月に実施した第20回タニタ健康大賞では、「2023ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」で日本代表の監督を務め、優勝した栗山英樹前監督を谷田社長自ら表彰しました。経営者として、栗山前監督から学ぶリーダーシップはどんな部分にありますか。

 栗山前監督が選手たちにどう接していたかというのは「これだけはしないでくれ」といった、ボトムをそろえることを徹底したのだなと私は感じました。会場でのお話以外に、私は前監督の著書も読ませていただいたのですが、栗山監督のチーム作りをこのように捉えています。

 例えば「夜ふかしをしてはいけない」とおっしゃったという話があります。これは夜更かしでずっと酒を飲んでいて、翌日もその状態で試合に出てもパフォーマンスが出ませんから「頼むからそこはやめようね」というボトムのことだけを言っています。あとは個々人もプロ野球選手ですから、野球のスキルに関してはセルフマネジメントができる方たちです。選手たちも最低限のことだけしか言われないことで「そういうふうに任せてくれるのだったら、しっかりやろう」となって、モチベーションが高くなったのだと思います。


タニタ健康大賞での谷田社長(左)と「2023ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」で日本代表の監督を務めた栗山英樹さん

――組織として意識合わせの部分を徹底したわけですね。

 この話は栗山前監督が日本ハムファイターズの監督を務めていた時の話だそうですが、WBCの時はこれにプラスして「チームプレーをしましょうね」ということだけをおっしゃていました。

 日本代表の場合、選手は各球団から派遣されてきていて、基本的には所属球団の年俸制で働き、生活をしています。球団の勝利へ貢献することを期待されて報酬を得ているわけですから、各選手は球団への貢献を強く意識していることと思います。

 さらに代表戦でけがをしてしまうと、所属球団にも迷惑を掛けてしまいます。一方WBCの場合は、報酬と切り離された晴れの舞台なので、名誉的なことのために、個人としての活躍に意識が向きがちになっても仕方ありません。個人としてアピールできるからといって頑張り過ぎてけがをすると、自分の生活にも関わってきます。選手にとってはけがなどの心配から本来の実力が発揮しにくい環境です。

 監督は報酬や絶対的な指示命令権がない中で、チームをまとめていかなければなりません。だからこそ、栗山前監督は勝利するために、さまざまなしがらみを横に置くために「野球なのだからチームプレーをしましょう」という意識合わせだけをしたのだと受け止めました。選手を取り巻く環境を踏まえて、選手への接し方をプロ野球球団の時と変えておられました。

 いずれにしても、彼のリーダー論はボトムを合わせることに徹しているのだと思いました。対して私のリーダー論は、率先垂範で「私がまずやるからついてこい」というやり方ですので、とても勉強になりました。

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