この記事は、垣内勇威氏の著書『LTV(ライフタイムバリュー)の罠』(日経BP、2023年)に、編集を加えて転載したものです(無断転載禁止)。なお、文中の内容・肩書などは全て出版当時のものです。
「LTVボトルネック」とは、カスタマージャーニーの中で、顧客との関係を途切れさせている部分的な障害点です。いわば、LTV向上を目指して施策を打ち出そうとしている企業担当者の前に仕掛けられた「罠」のような、厄介な存在です。
例えば、プロ野球のファンが生まれる過程で「初心者は球場への行き方が分からない」というボトルネックがあります。どのようにファンが生まれるのかという過程から、この障害点について解説していきましょう。
まだファンでも何でもない人が、プロ野球に興味を持つきっかけの一つに「選手のプライベートを公開した動画」があります。YouTubeやテレビ番組で、選手の日常生活や、同じチームで仲の良い選手との会話、試合では見せない笑顔などを見て、その選手の人間性に引かれるのです。試合で活躍している選手の動画はもちろんですが、こうしたプライベートな素顔を見ることで、特定の選手に興味を持ち始めます。
動画などで少し興味を持った人に、LTVの高い熱狂的なファンになってもらうためには、球場でのリアルな試合観戦が欠かせません。球場の熱狂的な雰囲気、お気に入り選手の活躍、ビールと食事、他ファンとの交流などを通じて、自らをそのチームのファンだと自認し始めるのです。ビジネス視点でも、球場に来てもらえればチケット代を稼げますし、グッズや飲食の売り上げにもつながります。
初めて球場に来てもらうことは、ファンになるための登竜門なのです。しかし動画を見ただけの野球初心者が球場に行くには、大きな心理的障壁があります。どんな服装をしていけばいいのか? 1人で行っても大丈夫か? 誰か誘ったら来てくれるのか? チケットはどこで買うのか? お気に入りの選手は出場するのか? など、分からないことだらけで、なかなか一歩が踏み出せません。友人に野球ファンがいれば互いに誘い合えるかもしれませんが、そもそも誰が野球のファンかも分からないケースが多く、野球の話題を友人に振るのもためらうそうです。
ボトルネックを解消する、「正しい」アプローチ
このような初心者の心理を知らないのか、驚くことにプロ野球の各球団の公式サイトを見ても、初心者向けのコンテンツはほとんどありません。熱狂的なファンを有する、いわゆる「ファンビジネス」は、顧客への塩対応が目立ちます。なぜなら、わざわざ丁寧に解説しなくても、熱狂的なファンは自ら重箱の隅まで探し尽くしてくれるからです。
ファンに甘えることに慣れているファンビジネスでは、ファンになりたいと思っている初心者を、知らないうちに失ってしまいます。ファンビジネスとは、ファンに甘えるビジネスではなく、ファンを大切にするビジネスであってほしいものです。
こうした「初心者は球場への行き方が分からない」という、カスタマージャーニーの中で顧客との関係を途切れさせている部分的な障害点を、本書では「LTVボトルネック」と呼んでいます。
LTVボトルネックは、顧客の状況と課題がクリアなため、解決方針が明確なことがほとんどです。例えば前述した「初心者は球場への行き方が分からない」の場合、対策として次のようなアプローチが考えられます。
- サイトに初心者向けガイドを掲載する
- 初回来場限定で割引・招待券を配布する
- 初心者向けのお一人様シートを用意する
- 興味のある特定選手が出場する試合を通知する
- 初心者が多く閲覧するYouTubeなどで上記企画を紹介する
このようにカスタマージャーニー全体の中で、障害になっている点が分かり、顧客の状況が明らかになれば、誰でも具体的なアイデアに落とし込むことができます。
著者プロフィール:垣内勇威(かきうち・ゆうい)
WACUL 代表取締役
東京大学卒。ビービットから2013年にWACUL入社。改善提案から効果検証までマーケティングのPDCAをサポートするツール「AIアナリスト」を立ち上げる。19年に産学連携型の研究所「WACULテクノロジー&マーケティングラボ」を設立。研究所所長および取締役CIO(Chief Incubation Officer)として新規事業や新機能の企画・開発およびDXコンサルティング、大企業とのPoC(概念実証)など、社内外問わず長期目線での事業開発の責任者を務めてきた。22年5月に同社代表取締役に就任。著書に『デジタルマーケティングの定石 なぜマーケターは「成果の出ない施策」を繰り返すのか?』(日本実業出版社)など。
自社の製品やブランドを末永く愛してもらい、顧客と良好かつ継続的な関係を築いて利益を最大限に高めたいが、有効な手だてが見つけられない企業は多い。実際「LTV(ライフタイムバリュー=顧客生涯価値)」という言葉や概念は浸透しているが、正しくマーケティング戦略に組み入れ、機能させている企業は想像以上に少ない。本書はLTV向上施策において、顧客が逃げ出してしまう「4つのボトルネック=MAST」を浮き彫りにし、企業と顧客が向き合う接点ごとに有効な対処法を紹介。マーケティングや営業、顧客サービス部門の担当者がすぐに実践できるよう、多彩な事例を示しながら分かりやすく解説する。真に顧客から「愛される企業・ブランド・製品」を目指す企業担当者にとって必読の1冊。
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