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ベンチャー経営者の「寝食を忘れて仕事」発言 なぜ炎上を繰り返すのか働き方の「今」を知る(2/2 ページ)

ベンチャー経営者の「寝食を忘れるほどに仕事に没入して当然」といった趣旨の発言が炎上した。なぜ、この手の炎上は繰り返されるのか?

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「ベンチャーに入ったなら休むな!」が批判される、これだけの理由

 これまで、創業期のベンチャー企業に自らの意志で入社するということは、上掲のような「寝食を忘れて仕事に没入」する働き方に同意したうえでのことであり、当然ハードワークや休日返上での仕事を厭わないことが大前提として共有されていた。

 実際、ベンチャー企業内で労基法上当然の権利主張をしようものなら、「なんでわざわざベンチャー企業なんかに入ってきたの……?」と白い目で見られ、仲間意識など一切持たれることもなく、仕事がやりづらい雰囲気となり、いつの間にか辞めていく、といった展開となることもあるだろう。

 しかし、もはや時代は変わったのだ。いまだに「ベンチャーに入ったなら休むな!」などと公言している経営者がいるなら、その会社は周囲から「法律もコンプライアンスも無視すると言い切っている……。とんでもない会社だ……」「近寄らないほうがいい……」と忌避されるようになってきた。その根拠を説明しよう。

  • 法制・コンプライアンス面

 まずシンプルに「休日返上の長時間労働」は法律違反である可能性が高い。労働基準法では1日当たりの労働時間上限は8時間、1週間当たり40時間であるし、週1回の休日付与が義務だ。

 残業時間の上限は原則月45時間・年360時間であるし、仮に労使協定を結んだとしても、「年720時間以内」「複数月平均80時間以内」「単月100時間未満」が絶対条件となっている。ちなみに「月80時間」の残業は「1日当たり4時間程度」。ベンチャーならあっさり超えてしまうレベルだろう。

 労働時間の上限規制に違反した場合、企業や経営者、残業に関する権限を持つ上司などに「6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金」が科せられる可能性があるほか、悪質なケースでは厚生労働省によって企業名がインターネット上に公表される可能性もある。

  • 実務面

 現代の労働観では「成果」を重視するアプローチが主流だ。「長時間労働」や「休日出勤」といった「滅私奉公への姿勢」をことさらに重視することは、手段を目的化してしまうことにつながり、反発の要因となる。そもそも、長時間労働と睡眠不足が人体に多大な悪影響を与え、労働生産性を損なうことについては、従前からの研究発表によって多方面から警鐘が鳴らされているのだ。

 慶應義塾大学の島津明人教授の研究結果によると、人間の脳が集中力を発揮できるのは「朝目覚めてから13時間以内」であり、集中力の切れた脳は「酒気帯びと同程度」、さらに起床後15時間を過ぎた脳は「酒酔い運転と同じ」くらいの集中力しか保てないという。すなわち、脳の集中力が成果に直結するホワイトカラーにおいては、残業中の労働生産性が最も低いということになる。

 労働安全衛生総合研究所過労死等防止調査研究センターの高橋正也氏は「前日勤務から11時間空けずに働いた場合、翌日や翌々日に、救急搬送や死亡に至るケガが多く起きている」「インターバルが11時間未満の人は、疲労・不安・抑うつ・食欲なし・不眠などのストレス反応と、起床時の疲労感が高い」といった調査結果を発表している。

 日本経済新聞の「眠れない日本、生産性低く」と題された記事では、各国の睡眠時間と労働生産性の関係、企業の利益率などの関係性が調査され、「社員の睡眠時間の多寡で、企業の利益率に2ポイントの差が生じる」「日本人の睡眠時間は欧米主要国平均より1時間近く短い」「睡眠の質の低さが、パワハラやミスの温床になる」といった結果が示された。

 また、経営側が「寝食を忘れて働く」姿勢を称賛することは、自己犠牲的な働き方を美徳とする文化を生みかねない。人手不足の昨今において、「やる気はあるが長時間労働だけは勘弁」という考えの人を採用できなくなることは機会損失となる。

 また、自己犠牲を強要されることは、個々の従業員の自己実現や幸福感を阻害するだけでなく、燃え尽き症候群(バーンアウト)を引き起こしやすくなるリスクもある。ここまでくれば、もはや個別企業の問題というより、社会全体の課題として解決する必要性があるレベルだ。

  • 価値観・精神面

 わが国に限らず、米・シリコンバレーの起業家などの例でも共通する点として、成功した起業家の多くは、自分の成功を「寝食を忘れて働いた結果」として語るところがある。ただし、それはあくまで自身でリスクを負い、その分のリターンも期待できる経営者だからこそ言える面があるし、ハードな状況を乗り越え、生き残ることができたからこそ言えるという面もあるだろう(途中で断念した者は語れない、いわゆる「生存者バイアス」だ)。

 もちろん、その方法が全ての状況や従業員に当てはまるわけではないので、経営者による「一方的な価値観の押し付け」「事業継続リスクの従業員への押し付け」と捉えられ、批判される要因となってしまうのだ。

 また、昨今の若手にとっては「多様性重視」の価値観が一般的であるため、キャリアの充実だけでなく、自分のライフプラン実現や社会への貢献など、ワーク・ライフ・バランスが重視される傾向にある。これに対して、「ベンチャーに入ったなら休むな!」「寝食を忘れて働け!」という主張は、個人の価値観を軽視するものであり、若手世代の考えとは真っ向から対立するものとして、強い反発を受けやすい。

 「ベンチャーに入ったなら休むな!」「寝食を忘れて仕事に没入しろ!」といった主張はこのように、現代の労働法制や労働環境、働き手の価値観や多様性重視の社会的倫理規範といった観点からは、多くの批判を受ける理由が明確である。

 ベンチャーとかスタートアップ段階にあることを、自分たちの未熟さと違法状態放置の免罪符にするべきではないのだ。

 ベンチャー企業経営者が、同等のリスクを負って事業に参画している取締役など、経営陣の内々で高く厳しい行動規範を設定し、事業目標達成を目指して自らを追い込み、私生活を投げうって事業に没入する分には別に何の問題もない。それによって大変な思いをするのは自分たちだけであり、他人に何ら迷惑はかからないからだ。

 しかし、その厳しさを一般の従業員レベルにも要求することは、彼らのモチベーションやエンゲージメントを低下させるばかりでなく、場合によっては命を危険にさらすかもしれない。経営陣は自分たちと従業員間に圧倒的な断絶が存在することを大前提として認識し、経営していくしかない。

 お盆などの長期休暇にしっかり休む人、指示がないと動けない人、定時退社する人などをも魅了し、気持ちよく仕事してもらうことも経営者の仕事だといえるだろう。

著者プロフィール・新田龍(にったりょう)

働き方改革総合研究所株式会社 代表取締役

早稲田大学卒業後、複数の上場企業で事業企画、営業管理職、コンサルタント、人事採用担当職などを歴任。2007年、働き方改革総合研究所株式会社設立。「労働環境改善による業績および従業員エンゲージメント向上支援」「ビジネスと労務関連のトラブル解決支援」「炎上予防とレピュテーション改善支援」を手掛ける。各種メディアで労働問題、ハラスメント、炎上トラブルについてコメント。厚生労働省ハラスメント対策企画委員。

 

著書に『ワタミの失敗〜「善意の会社」がブラック企業と呼ばれた構造』(KADOKAWA)、『問題社員の正しい辞めさせ方』(リチェンジ)他多数。最新刊『炎上回避マニュアル』(徳間書店)、最新監修書『令和版 新社会人が本当に知りたいビジネスマナー大全』(KADOKAWA)発売中。

11月22日に新刊『「部下の気持ちがわからない」と思ったら読む本』(ハーパーコリンズ・ジャパン)発売。


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