「デジタル化したのに」生産性が上がらない……“現場力”に甘える企業が陥る罠:ホワイトカラーの生産性はなぜ低いのか?(2/2 ページ)
「あの部署で使われているシステム」の仕様に合わせようとすると、「この部署との業務フローの共有」がうまくいかない……そんなことを続けているうちに、社内を見渡すと「部門最適」「部分最適」ばかりの状況ができてしまった──。多くの日本企業にとってではない話だろうが、これがあなたの会社のデジタル化、特に経営のDXにとって大きな障壁になる可能性がある。どういうことか?
ミスや不正が発生する
人間がやっているということは、当然、その中ではミスが発生する可能性がある。また、不正が入り込む余地も生まれる。
ここ5年ほど、日本企業や官公庁では「○○不正」という事象が頻発し、企業の存続を揺るがすほどの事態になっていることが多いが、それらには一貫した特徴がある。
- つなぎ部分を手作業でやらされている現場が
- 人手が不足し仕事が回らないために
- やむにやまれず工数をショートカットするための方策として「不正」に走ったが
- 周辺の社員もみなそうした苦境が分かっているので告発する気にもなれず
- 結果この「不正」が長期間、ときには数十年にも渡って続いていた
という構図である。
現場社員には「不正」つまり不当行為を働きたいという意図は毛頭なかった。むしろ問題は、こうした不正が起き得る状況、つまり単に部分が最適化するに任せ、つなぎ部分を重労働な手作業のまま放置し、何の手当ても打たなかったマネジメント側の不作為にある。「働かせ方が古いまま」だったのだ。
属人化し、触れなくなる
EUCは現場レベルで、手軽にできる。やる気と技能のある社員が1人いれば、そこそこの部門システムができてしまう。
ところが、その1人が異動あるいは退職すると、たちまち窮地に陥る。誰も中の仕組みが分かっておらず、メンテナンスできなくなるからだ。
「デジタルな自働機械」は、インプットとアウトプットの関係が正しいと分かっているときだけ意味がある。そこが信頼できなくなったら意味がない。
部分最適が固定化される
この「つなぎ」作業そのものも本質的には定型である。従って、つなぎ部分もソフトウェアに担わせることは可能であり、実際つなぎのためのソフトウェアも開発されていった。いったん完成すれば、しばらくはその手間ゼロが実現する。
ところが事業環境が年々少しずつ変わっていくのに伴い、部門システムも本来は少しずつカイゼンされ、変わっていかなければならない。にもかかわらず「一方が変わると、その影響が他システムにも及ぶが、それが具体的にどこがどう影響するのかを見極めるのは難しい」という状況が発生してしまう。結果、どちらも変えることができず、カイゼンできないお見合いが続く。
この相互につながって、がんじがらめになった状態を「スパゲッティー状態」と表現することがあるが、まさに言い得て妙である。残念なことだが。
不要な部分がなくならない
全体最適視点で見ると、だんだんと必要性がなくなる業務も出てくる。「こういうやり方に入れ替えてしまえば、そもそもこの業務、要らないよね?」といった具合に。
FAXによる受注もその一つだ。90年代後半からFAXによる受注が盛んになり、文字の読み取り精度を上げるためにOCR(文字認識ソフト)が開発され、その精度向上にしのぎを削っていた時代もあった。
だが、そもそもFAX受注をなくしてWeb受注に切り替えれば、読み取りの時間もミスもゼロになる。しかしFAX受注の担当部門が「自分の業務はもう不要なのでは」と、自分たちから名乗りを上げることはない。それは当たり前だ。トップが決断するしかない。
上記のような状況は過去形ではない。あなたの周囲にも今も、これらの構図が大なり小なり残っているのではないだろうか。部分最適と部分最適をつないでも、それが全体最適になることは決してないからだ。
こうした状況はなぜ起きるのだろうか?
繰り返すが、ホワイトカラーといえどフィジカルな媒体(紙とエンピツ)を使って行っていたうちは、現場主導のカイゼンに任せても問題はなかった。
その後、デジタルによるホワイトカラーの生産性革命が起きたときも、EUCなどの初動はむしろ欧米よりも日本企業の方が早かった。
だが、経営者が全体最適の重要性を理解できず、現場主導のカイゼン文化に任せきりにしていたため、「部門システムのスパゲティ」の呪縛にどっぷりとはまってしまった。そしてもう25年たっているわけだ。
全体最適だけが重要
さて、前回述べた通り、多くの人や部門がスムーズに連携するために業務プロセスが定義されているわけだが、ここで重要なのは「全体最適」である。
全体最適とは文字通りの意味だが、ここでのポイントは「一つの部門だけが最適化しても、顧客には意味がない」ことだ。なぜか? 顧客にはそれが見えないからである。
顧客の視点から見ると、部門最適には意味がなく、意味があるのは全体最適だけなのである。ということは、もし企業全体としての生産性を上げようと本気で考えるのであれば、全体で、つまり受注から発送までのエンド・トゥ・エンドで考える以外、意味はないのだ。
部分最適の積み上げ=全体最適ではない
ここであらためて「カイゼンとは何か?」と考えてみる。カイゼンとは、業務プロセスを作業者自身が創意工夫して、より効率よく(より短時間・高品質で、より楽に)こなせるように改善していくことである。
ただし、ここで一つ注意する必要がある。カイゼンには限界がある。カイゼンは全体の一部を担っている作業者が、自分の目で見えている範囲を改善するので、部分最適にしかなりようがないのだ。
「全体最適」とは、裏返せば「部分非最適を容認すること」である。全体が最適になるようにという視点で全体を調整すると、部分ごとに見れば非最適なところが出てくるが、それを受け入れるからこそ、全体最適になり得る。
もちろん現場も「全体最適が重要で、部門最適には意味がない」ことは理解できる。だから「全体最適のためには、部門非最適であっても、喜んで受け入れよう」と考えるだろう。
だが「では具体的にはどこをどう非最適にすれば、全体では最適になるのか?」が分からない状況では、受け入れようもない。
かつては、各部署がそれぞれカイゼンを行えば、つまり部分最適を積み上げていけば、それがトータルでも最適に近づくはず、と見なせただろう。しかし現在は、それだけでは刻々と変化する市場の動きにスピーディーに適合していくことが困難になっている。
なぜなら「エンド・トゥ・エンドの全体最適 = 顧客視点での最適化」を可能にする「デジタルな自働機械」が手に入る中、すでに世界中の企業がそれをベースにした戦いをするようになっているからである。
著者情報:村田聡一郎
SAPジャパン株式会社 コーポレート・トランスフォーメーション ディレクター
外資系IT企業、スタートアップを経て、2011年SAPジャパン入社。「ITではなく経営目線から」を信条とし、顧客の企業変革に伴走する。
海外事例にも精通し、講演・執筆など多数。著書に「ホワイトカラーの生産性はなぜ低いのか〜日本型BPR 2.0」「Why Digital Matters? 〜“なぜ”デジタルなのか」(プレジデント社)。SAP「COO養成塾」事務局長。白山工業株式会社 社外取締役。「合い積みネット」共同創業者。米国ライス大学にてMBA取得。
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