コラム
「忘れられた偉人」京急創業者・立川勇次郎の「意外」に大きな実像:没後100年(1/5 ページ)
京浜急行電鉄の実質的な創業者である立川勇次郎。あまり知られていない、彼の実像を辿る。
筆者プロフィール:森川 天喜(もりかわ あき)
旅行・鉄道作家、ジャーナリスト。
現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など。
阪急の小林一三、東急の五島慶太、西武の堤康次郎、東武の根津嘉一郎……。大手私鉄の創業者には、今も名を知られる人物が多い。だが、京浜急行電鉄の実質的な創業者である立川勇次郎(1862〜1925)の名がすぐに思い浮かぶ人は、限られているのではないか。
京急のみならず、東芝の源流となった企業にも名を連ねるなど、明治〜大正期の実業界に多くの足跡を残しながら、立川勇次郎はなぜ「忘れられた偉人」となったのか。今年、没後100年を迎える立川勇次郎とはどのような人物だったのか、あらためて探ってみることにしよう(以下、敬称略。引用部は筆者が旧仮名を新仮名遣いに変更するなどしている)。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
「円しか稼げない会社は、沈む」 星野リゾート初の北米大陸進出、“無名の地”選んだ狙い
星野リゾート代表に、今後の海外戦略について話を聞いた。
「人が押す鉄道」はなぜ生まれ、なぜ消えていったのか 豆相人車鉄道の歴史
1896年に小田原から熱海までの全線約25キロが開通した豆相(ずそう)人車鉄道。明治の文豪の作品にも描かれたこの鉄道は、レール上の箱状の客車を車夫が押すという、極めて原始的な乗り物だった。
東横線・幻の駅「新太田町駅」と、かつて「3つ」存在した神奈川駅
2004年1月末、横浜高速鉄道みなとみらい線との直通運転開始により、横浜〜桜木町間が廃止に。同時に横浜駅が地下に移設され、東白楽―横浜間の線路も地下化された。その線路跡は、今どのようになっているのか、あらためて歩いてみることにした。
モノレール登場から200年、なぜ広まらなかったのか LRTにも共通する課題
公共交通は形を変えながら、新たな局面を迎えている。
設備投資に1486億円 「富士山登山鉄道」構想に推進・反対派が真っ向対立 問題点はここだ
富士山北麓の山梨県富士吉田市と、富士山五合目を結ぶ壮大な登山鉄道を建設する構想がある。この構想が今、推進・反対派の主張が真っ向からぶつかる事態となっている。

