「人が押す鉄道」はなぜ生まれ、なぜ消えていったのか 豆相人車鉄道の歴史:神奈川の「廃線」をたどる(1/4 ページ)
1896年に小田原から熱海までの全線約25キロが開通した豆相(ずそう)人車鉄道。明治の文豪の作品にも描かれたこの鉄道は、レール上の箱状の客車を車夫が押すという、極めて原始的な乗り物だった。
この記事は、森川天喜氏の著書『かながわ鉄道廃線紀行』(神奈川新聞社、2024年)に、編集を加えて転載したものです(無断転載禁止)。なお、文中の内容・肩書などは全て出版当時のものです。
1896年に小田原から熱海までの全線約25キロが開通した豆相(ずそう)人車鉄道。明治の文豪の作品にも描かれたこの鉄道は、レール上の箱状の客車を車夫が押すという、極めて原始的な乗り物だった。
坂道の難所に差し掛かると、3等車の客は車夫とともに客車を押すのを手伝わされたという。後に蒸気機関車牽引(けんいん)の軽便鉄道に生まれ変わるが、関東大震災で壊滅的な被害を受けると復旧されることなく、歴史の波のかなたへと消え去った。
熱海駅前の小さな蒸気機関車
熱海駅前のロータリー広場の一角、アーケード商店街の入口近くに、小さな蒸気機関車が保存・展示されている。機関車の前に設置された説明板には、「車両の長さ3・36m、高さ2・14m、幅1・39m、重さ3・6t、時速9・7km」と書かれている。
日本の蒸気機関車の王様・D51(デゴイチ)の全長が19・73メートルであるのと比較すれば、その小ささがよく分かる。
筆者プロフィール:森川 天喜(もりかわ あき)
旅行・鉄道作家、ジャーナリスト。
現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など。
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