日立流・データサイエンティスト育成法 工場に派遣、“泥臭い”研修の手応えは?:前編【人事編】
日立製作所は、データサイエンティストを対象とした新人研修プログラム「モノづくり実習」を2021年から展開している。狙いは何か。現場はどう変わったのか。日立の担当者に聞いた。
日立製作所は、データサイエンティストを対象とした新人研修プログラム「モノづくり実習」を2021年から展開している。この施策は、同社が持つ多様な製造現場を活用し、新卒入社1年目の新人データサイエンティストに、工場などの製造現場で課題解決に取り組んでもらうものだ。
この研修では、新人データサイエンティストを工場現場に3カ月間にわたって配属。データ収集から分析、モデル構築まで一貫して担当させる。例えば、紙媒体で管理していたデータをデジタル化し、それをもとにした分析によって大きな成果を生み出した事例もあるという。
日立独自の新人データサイエンティスト研修の狙いは何か。現場はどう変わったのか。日立の担当者に聞いた。
徳永和朗 日立製作所入社後、半導体技術者としてキャリアをスタートし、LSIの設計開発などさまざまな日立の次世代モノづくりに携わる。2013年よりAI、ビッグデータを活用したデータサイエンス領域を担当。さらに人財の育成やプロジェクトマネージメントも行うデータサイエンティストとして活躍し、 現在は産業分野を中心に現場DXに向けたAI活用プロジェクトの創成、アドバイザとして多くのプロジェクトに携わっている(日立製作所提供)
大野佐代子 日立製作所入社後、情報通信分野の事業所勤労・労務担当からキャリアをスタートさせ、海外・国内グループ会社の役員報酬を含むグローバルHR業務を担当。その後本社組織である社会イノベーション事業をリードする事業創成の部署のタレントマネジメント全般を担当し、現在のデザイン、データ、GenAI、Business Developmentの専門家部隊のHRビジネスパートナーとして、経営に資する人財戦略に携わっている(日立製作所提供)
データサイエンティスト育成の課題 日立流の解決方法は?
生成AIをはじめ、近年のあらゆるテクノロジー発展の裏には、データサイエンスが欠かせない。大学でもこうした人材を育成すべく、さまざまな大学でデータサイエンスを学べる学部学科の設置が進む。一橋大学は2023年4月、約70年ぶりの新学部となるソーシャル・データサイエンス学部を設置した。
学術界だけでなく、産業界も同様だ。日立は2020年3月に「Lumada Data Science Lab.」(LDSL)と呼ばれる、デジタルイノベーションを加速させるAI・アナリティクス分野の中核組織を設立。同社が有する幅広い業種・業務の専門的知見やノウハウ、人財、先端技術を集結し掛け合わせることで、社会課題解決に向けた価値創出を加速させている。
LDSLでは、データサイエンティスト人材の社内育成を進めるだけでなく、新卒も毎年12人ほどを採用している。日立は、このデータサイエンティストとして採用した新卒社員に対しては、OJTを通じて、学生の際に学んできたデータサイエンティストの知識を実際の現場で生かせるような育成プログラムを設けている。
同社デジタルシステム&サービス人事総務本部 AI&ソフトウェアサービス人事部 部長代理の大野佐代子さんは「プロジェクトやチームの一員として活躍できるビジネス、データサイエンス、エンジニアリングの3要素をバランスよく備えた人材への早期育成を目指しています」と狙いを話す。
このうち、データサイエンスの部分は、採用者の大半が大学でデータ分析のスキルを専門的に学んできているので、あまり育成の主眼とはしていない。一方で製造現場の作業員などからヒアリングをし、課題を発見できる能力や、そこから得た改善策をうまく現場装置の実情に落とし込んで提案できるビジネス力や、エンジニアリング力の育成を主な目的としている。
そこで日立がデータサイエンティスト向けに、2021年から続けている独自の研修制度が「モノづくり実習」だ。モノづくり実習の狙いは、日立が長年培ってきたモノづくりのノウハウと、データ分析技術の融合にある。具体的には、製造現場で発生する課題をヒアリングし、それに基づいてデータを収集・分析。解決策を現場の社員に提案する。研修期間は原則3カ月で、全国の日立グループの工場に配属する形だ。
その課題も、例えば故障予兆の検知やメンテナンス予測、生産計画の最適化など、多岐にわたる。入社1年目のデータサイエンティスト人材に、こうした経験を積ませることで、単なるデータ分析スキルの向上にとどまらず、現場での課題解決能力やコミュニケーション能力の向上にも寄与している。
モノづくり実習誕生の経緯
モノづくり実習を始める前は、ビジネス力とエンジニアリング力の育成のために、現場の課題を解決できるようなアプリケーション開発に重きを置いていたこともあった。
しかし、日立に入社したデータサイエンティストは、現場のデータ分析をするために入社したとう志望動機を持つケースが多い。そのため、SEのようなソフト開発をやらせることは、「やりたいことと違う」という声が多く上がった。また、アプリ開発を目的とした場合、その研修期間が半年など、どうしても長くなってしまいやすい事情もあった。
モノづくり実習を企画・推進する、デジタル事業開発統括本部Data&Design Data Studioの徳永和朗担当部長は、「この期間、データ分析の腕を磨きたい、さまざまな分野の分析経験を積みたいと悶々としながら過ごす新入社員を多く見てきた」と振り返る。
「そこで、新人データサイエンティストたちを、モノ作りをしている現場に投入し、作業もデータ分析に特化させるようにしました。そのほうが現場のDXが進むだけでなく、データサイエンティストとしてのデータ分析スキルも身につきますし、何よりモチベーション向上につながります」(徳永氏)
モノづくり実習では、研修社員も現場の一員として活動する。現場ではヘルメットを着用し、作業員との対話を通じて課題を深掘りする。基本的に大学院を修了している研修社員を「お客さま扱い」することはなく、叩き上げの職人たちと寝食を共にし、現場と一体となりながら課題を探っていく。
研修を担当する現場の工員は、研修社員の父親の年代に近いベテランが担当することが多い。自分より1回りも2回りも上の同僚から、時には「現場で厳しい指導を受けながら課題を見つける」ことで、研修社員の貴重な経験にもなっている。
土浦事業所は、1974年に旧日立製作所川崎工場と亀有工場が統合して設立された日立製作所土浦工場としてスタート。あらゆる産業分野においてクリーンな圧縮空気を高い性能・信頼性で供給する大型オイルフリースクリュー圧縮機SDSシリーズやターボ圧縮機を送り出してきた
現場のDXにも貢献する密着型研修
一見すると、データサイエンティストが働く環境から遠い、いわば泥臭い環境での研修内容にも映るかもしれない。しかし、徳永氏の狙い通り参加者からの評判は上々だという。
徳永氏は、「当社に入ってくるデータサイエンティストは、『ものづくり』をやりたくて入社してくる人が多い。大学では触れられなかった工場などの現場に直に接して、『入社して良かった』という声が多くあります」と話す。
徳永氏自身もデータサイエンティストとして社内で活躍しており、施策の実施やデータサイエンティストの採用にも関わる。
一方で、工場現場はデジタル化が遅れていることも少なくない。通常、データサイエンティストが統計データを取る際には、データを数値化するための「標準化」という作業が不可欠だ。しかし製造現場ではいまだに紙ベースの資料が多く残っており、研修社員によってデジタル化する作業から必要な場合が珍しくない。
しかし、この作業がきっかけで、これまで進んでこなかった製造現場のDXが一気に進んだケースもある。ある例では、数年分の紙資料をデジタル化して分析した結果、大幅な効率改善やコスト削減につながったケースもあるという。
徳永氏は、「製造現場のDXを進める上では、現場担当者との話し合いと、提案力の涵養が必要不可欠」と話す。「データサイエンスに関しては、教科書を読めば技術や知識として学ぶことは可能です。しかし、国内企業でDXがうまくいかない理由は、現場からデータをどう取り出し、それをどうシステムを作り上げて現場に返すかという工程が、十分に機能していない点にあります」(徳永氏)
そして紙の資料をデジタル化して標準化し、収集できたとしても、それを現場にどう提案し、業務を変えるかという「提案力」が欠かせない。「例えば、それまで紙で作業していた人に対して『明日からiPadで仕事してください』と言っても、現場ではやり方を変えることに抵抗が生じるでしょう。そのような状況で、現場にどうフィードバックし、改善策を現場の事情に合わせて提案していけるかが、DX人材としても必要不可欠な部分だと考えています」(徳永氏)
モノづくり実習で得た成果は、日立グループだけでなく、社外への商材にもつなげる取り組みもしている。実習で得たノウハウや成功事例は外部顧客への提案材料となり、新規事業開発の基盤にもなっている。
徳永氏は「この実習が日立だけでなく、日本のものづくり全体に貢献できる人材育成を目指したい」と話す。日立ならではの強みといえる「OT(物理的なシステムや設備を最適に動かすための制御・運用技術)×IT」を、データサイエンティスト人材の育成によって、どこまで伸ばせるのか。その挑戦は、日本のモノづくり文化の未来を切り拓く鍵となるだろう。次回は新人データサイエンティストにインタビューし、その奮闘を追う。
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