「7月に大災害が起きる」――フェイクで止まった航空路線 事実を伝えるだけでは、人は動かない理由:Merkmal
SNS発“予言”が地方空港を直撃。アクセス数が億単位に達した誤情報の拡散で、訪日路線が相次ぎ運休へ。損なわれたのは航空便ではなく、「移動の意味」そのものだった。
2025年7月5日に「日本で大災害が起きる」という未確認情報が、SNSや動画投稿サイトを通じて広まった。その結果、香港から日本各地への航空便が運休や減便に追い込まれた。実際には災害は起きず、情報は誤りだったことが確認された。
しかし、影響はすでに現実のものとなっている。
特に、香港から米子・徳島空港へ直行便を運航していたグレーターベイ航空は、利用者の減少を理由に9月からの運休を発表した。これは地方空港の国際線ネットワークにとって深刻な打撃となった。
この現象を「デマに踊らされた人々の情報リテラシーの問題」と片付けるのは、本質を見誤る議論である。問うべきは、なぜ根拠のない情報が実際の行動につながり、継続的な経済投資である定期航空路線が損なわれたのか。その構造的な要因にこそ目を向けるべきだ。
公的機関は「デマ」だと繰り返したが……
震源となったのは、「2025年7月に災害が起きる」という漫画作品と、その二次的な情報拡散である。創作自体は表現の自由の範囲内だ。しかし、それを刺激的な動画に編集し、サムネイルとともに拡散したYouTube投稿者は、閲覧数を収入に換える仕組みで広告収入を得ていた。情報の信頼性よりも演出の面白さが収益の源泉となるこの仕組みは、誤情報の再生を経済的に正当化している。
また、SNSの表示アルゴリズムは話題性のあるコンテンツを優先的に表示する仕様だ。誤情報が「自然に広まった」のではなく、技術的・制度的に「広がりやすく設計されていた」ことが重要である。今回の拡散は偶然ではなく、利益構造に基づく必然的な結果といえる。
気象庁や観光庁などの公的機関は、科学的に災害予知は不可能であり、この情報はデマであると繰り返し発信した。しかし、誤情報のアクセス数は億単位に達し、正確な情報は相対的に目立たず、ネット空間の膨大な情報量に埋もれてしまった。従来の一方向的な広報は、変化した情報環境に対応できていなかったことが明らかとなった。
論理性よりも「感情的な納得」が行動を左右する
観光の動向を見ると、単に正しい情報を提供すれば信頼されるという従来の広報方法には限界がある。特に香港など東アジア地域では、風水や予言などの文化的要素への信頼が強い。公式発表の論理性よりも、「感情的な納得」が行動を左右している。日本側の情報発信は、こうした異文化の感受性に十分対応できていなかった。
運休となった米子・徳島便はいずれも、訪日外国人宿泊数が全国で下位に位置する地方空港の貴重な国際線だ。観光庁が掲げる地方誘客の柱としてようやく成長を始めた路線が、数カ月の予約減少で運休となったことは、航空・観光インフラの脆弱性を浮き彫りにした。
コロナ禍以降、搭乗率50%以下の国際線は継続が難しくなり、一時的な需要減でも撤退が容易に決まる構造が存在する。
さらに今回の事例は、移動や旅行の意思決定が価格や便数などの物理的条件だけでなく、「行ってもよい」という感情的な正当化にも大きく左右されていることを示した。人々は天気予報や災害リスクを冷静に分析して判断しているのではなく、他者の意見や行動を通じて移動の意味を再解釈する。
ここには「意味の経済」と呼ばれる概念が存在し、今回の“予言”が移動の意味付けを崩壊させたのだ。
再発を防ぐ3つの対策
再発を防ぐためには3つの方向からの対策が必要である。
第1に、SNSや動画サイトの表示順位を決める仕組みを検証すべきだ。
表示の順番は、視聴時間や反応数といったデータをもとに自動で決まっている。この仕組みが誤情報の拡散を助長している可能性がある。しかし、なぜその投稿が選ばれたのか、どのように広まったのかは運営者だけが知っており、外部から調査することはできていない。データの所有権の観点からも、特定の投稿が広まる過程や、それが人の行動にどう影響したかを追跡できる仕組みが求められる。
また、情報が急速に広がりすぎた場合に自動で拡散を抑制する仕組みも必要である。こうした規制は民間企業の判断に任せるべきではない。情報が社会の重要な部分に影響を与えるなら、規制の枠組みを見直す必要がある。
第2に、公的機関の情報提供の目的を、単に事実を知らせることから「人々の考え方を導くこと」へ転換すべきだ。
特に観光分野では、ただ情報を伝えるだけでは行動につながらない。重要なのは、情報を受け取る人がどのような考え方で理解し、行動を決めるかである。今回の例は、論理よりも文化や感情が意思決定に影響を与える地域があることを示している。
対策としては、特定の地域で効果的な伝え方を見つけ、その方法で情報を届ける必要がある。発信者の論理ではなく、受け手の考え方に合わせて内容を翻訳し、編集することが求められる。正確な情報を保ちつつ、受け取り方を戦略的に調整しなければならない。
第3に、地方空港の路線維持の判断には、問題が起きてから対応するのではなく、あらかじめ補う仕組みを制度化すべきである。
航空路線は地域の交通を支える設備であると同時に、事業として続けられるかどうか常に検討されている。今回のように、短期間で利用者が減り収益予測が悪化すると、運休の判断が速やかに下される。こうした場合、延命のための交渉だけでは不十分だ。
需要が急に減るリスクをあらかじめ数字で示し、それに備えるための資金の安全網を常に用意することが求められる。問題は損失の補填だけでなく、誰がどの基準で継続を判断するかという評価の仕組みを共有することにある。地域、事業者、自治体の3者が、航空路線を単なる交通機関ではなく、外部から人を呼び込むための重要な政策資産とみなす共通認識を持つことが重要だ。
問題は今後も頻発する
情報と感情が行動の決定に与える影響は拡大している。観光や航空の政策は、供給インフラの整備や料金の調整だけでは不十分だ。人々が「行く」と判断する過程にどのような外部要因が影響するかを把握し、管理し対処する枠組みが必要である。
今回失われたのは航空便そのもの以上に、「移動に値する」という信頼である。この信頼の喪失が一企業の判断にとどまらず、地域経済にまで波及した事実は、情報環境が現実の経済行動を左右する段階に入ったことを示している。これは例外ではなく、今後頻発する問題の先駆けである。
対応すべき対象は、予言という表現そのものではない。それを現実的な選択肢として受け取らせてしまう情報流通環境の設計にこそ、目を向ける必要がある。誤情報が人々の行動を左右しうる状態を放置したまま、拡散に経済的誘因を埋め込んだプラットフォームの設計。そして、その動態を把握しながらも有効な制度的制御を講じなかった行政の対応。この2つの不作為が、問題の核心にある。
個別の発信者を責めるだけでは、本質的な再発防止にはつながらない。収益構造と影響力の交差点が規律なく放置された結果、移動という現実のインフラが損なわれた。この構造的損失こそが、今回の事態の本質である。
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