SaaS大手ラクスが描く「AI民主化」 IT化「最後の砦」へ訴求できるか?
ラクスはAI活用による業務フローの根本的な組み替えを通じて、未開拓市場の攻略を狙う。2027年度からの次期中期計画では、AI活用の効果を本格的に反映させる方針だ。保守的な企業層というIT化の「最後の砦」に、AIがどこまで浸透するのか。
生成AIの進歩とともに、SaaS各社はAI活用戦略を徐々に明らかにし始めている。だが、その手法は企業によって大きく異なる。
年間経常収益(ARR)403億円で国内SaaS首位(ファーストライト・キャピタルの「SaaS Annual Report 2024-2025」より)を走るラクスにとって、AIは複数の戦略的意味を持つ。とりわけ同社が重視するのは、生成AIがこれまでIT化に慎重だった企業層の開拓につながるという視点だ。
7月10日のAI戦略説明会で、本松慎一郎CAIO(Chief AI Officer/最高AI責任者)は「生成AIは顧客のIT活用ハードルを下げる。これまでシステム化に慎重だった企業にも訴求できる」と述べた。経費精算市場では約5割の企業が紙やExcelでの運用を続けている現状がある。同社はAI活用による業務フローの根本的な組み替えを通じて、この未開拓市場の攻略を狙う。
同社では社員の97.9%が生成AIを業務で活用するほか、複数の製品にAI機能を組み込み始めており、既に定量的な成果が表れている。メールディーラーでは問い合わせ対応業務の50%削減、AIヘルプ機能では問い合わせ発生数の20%削減を実現した。2027年度からの次期中期計画では、AI活用の効果を本格的に反映させる方針だ。保守的な企業層というIT化の「最後の砦」に、AIがどこまで浸透するのか。
IT化のハードルを下げる 生成AIが変える販売管理システムとは?
IT化に慎重だった企業を取り込むというAIの使い方として象徴的なのが、販売管理システム「楽楽販売」への機能搭載だ。同システムはいわゆるノーコードのシステムで、企業ごとの販売業務フローに合わせたカスタマイズが売りだが、その設計・構築には専門知識と時間を要するという課題があった。
「販売管理業務は、ビジネスモデルや商習慣によって異なる。企業ごとに業務フローを可視化し、システム要件に落とし込むプロセスが必要だが、これには一定の知識や経験が必要で、設計・構築に時間を要していた」。本松氏はこう説明する。
これまでは同社のカスタマーサクセス担当者が顧客企業の業務を深く理解した上で、システム設計を支援してきた。しかしAI機能の搭載により、顧客自身が「やりたいこと」をAIとの対話で伝えるだけで、データベース構成からシステム設計まで自動で提案されるようになる。
2025年内にまず「データベース構成提案AI」をリリースし、顧客の業務内容を理解して主要なデータベース構成を提案する。2026年には「システム要件化アシストAI」で具体的な設計をAIが定義し、2027年には「要件自動設定AIエージェント」で対話による自動構築まで実現する予定だ。
この変化が市場に与えるインパクトは大きい。現在の楽楽販売の主要顧客は社員規模100人程度の企業だが、「エンタープライズ顧客に対して楽楽販売がお役に立てる領域は非常に広くなる」(本松氏)と、1000人規模の企業への展開も視野に入れる。
従来はフルスクラッチで販売管理システムを構築していた大手企業も、AI化により楽楽販売での対応が可能になれば、市場規模は飛躍的に拡大する。IT化の「入り口」を生成AIが大きく広げる可能性を、ラクスは現実のものにしようとしている。
問い合わせ対応「半減」が示す 業務効率化の現実味
AIによる業務効率化の具体的な成果が最も顕著に表れているのが、問い合わせ管理システム「メールディーラー」だ。16年連続で売り上げシェア首位を維持する同システムで、ラクスは段階的にAI機能の搭載を進めている。
まず成果を示したのがAIヘルプ機能だ。6月のリリースから約1カ月で、問い合わせ発生数を20%削減した。「24時間365日いつでも、あいまいな検索でも答えにたどり着ける状態を作り出せた」と高嶋洋・ラクスクラウド事業本部戦略企画部副部長は説明する。
さらに7月には「メール作成エージェント」の提供を開始。担当者が回答の要点を入力するだけで、ビジネスメールにふさわしい返信文を自動生成する機能だ。そして10月には「問い合わせ回答自動生成エージェント」をリリース予定で、過去の対応履歴やFAQなどのナレッジデータから最適な回答を自動生成する。
この最終段階では「問い合わせ対応業務の50%削減」を見込む。従来はマニュアル確認、メール作成、回答確認の3段階に分かれていた業務のうち、上2つをAIが代替することで実現する。
重要なのは、削減された稼働をより高度な業務に振り向けられる点だ。顧客企業のサポート担当者が削減できた時間を「より複雑、より高度なコンサルのような、より成果を出すための活動に当てていける」と高嶋氏は期待を込める。
こうした効率化は顧客企業のコスト構造を根本から変える可能性がある。「これまで10人でやっていた業務を、2人ぐらいに減らすようなチャレンジ」(本松氏)が現実のものとなれば、AIエージェントへの投資対効果は明確になる。
「新規開拓」こそがAI時代の成長エンジン
ラクスのAI戦略を理解する上で重要なのは、同社の成長構造だ。「売り上げの伸びは大部分が新規のお客さまを獲得するところで構成されている」と本松氏は明かす。つまり既存顧客からの拡販ではなく、新規開拓が同社の成長の主軸となっている。
この背景には巨大な未開拓市場の存在がある。同社の顧客の多くは「システムが全く入っていない状態から、最初のシステムとして選んでもらうことが多い」(本松氏)状況で、IT化に取り組んでいない企業層が依然として多数存在する。
AI導入の効果は一般的にコスト削減と売上向上に現れるが、売上向上はさらに既存顧客へのアップセルと新規顧客開拓に分解できる。ラクスのように未開拓領域が豊富な企業では、AIを新規顧客開拓の武器とする戦略が合理的な選択となる。
生成AIが「お客さまのIT活用のハードルを下げる」(本松氏)ことで、これまでシステム化に二の足を踏んでいた企業層への訴求力が高まる。IT投資に慎重だった中小企業が、AIの直感的な操作性に魅力を感じてシステム導入に踏み切るケースが増えれば、市場が拡大するという流れだ。
競合他社との差別化についても、ラクスは複数の優位性を挙げる。「当社は規模が大きい。リソース量としては最大。全方位で行える」(本松氏)ことに加え、長年蓄積した業務改善ノウハウが重要な武器となる。「業務改善に対する積み上げた知見は、競合が簡単には真似(まね)できるものではない」と説明する。
AI機能の追加投資についても段階的な戦略を描く。企業規模が大きいほどAI感度が高いという分析を踏まえ、まずは投資余力のある企業層から始めて実績を積み重ねる戦略だ。
AIの財務影響は2027年度から
ラクスのAI戦略が本格的な成果を上げるのは2027年度からとなる見通しだ。「次期中計から、AI活用によるコストダウンを織り込む」と本松氏は話す。
収益面での効果も期待される。AI機能による顧客の便益向上が「価格に転嫁できる」(本松氏)ほか、単価引き上げやリテンション向上も見込む。収益モデルについて中村崇則社長は、AIエージェントは追加課金にする方針をインタビューで明かしている。
技術進化への対応では慎重なアプローチを取る。「ステップバイステップで進めないと、決め打ちで作り込んでも陳腐化してしまう」ため、顧客のフィードバックを受けながら段階的に機能を高度化する方針だ。3カ月経つとAIの技術環境が変わる状況下で、柔軟性を保った開発戦略が重要となる。
最大の挑戦は、IT化の「最後の砦」とも言える保守的な企業層をどこまで取り込めるかだ。これらの企業は従来、システム導入のコストや複雑さを理由に投資を控えてきた。AIがこうした企業の行動変化を促し、未開拓市場を開拓できるかが、ラクスの成長戦略の成否を左右する。
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