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学研HD新体制の舞台裏 コンサル出身経営者が挑んだ「ブランド統合とDX」学研の変貌(2)(1/2 ページ)

学研ホールディングスでも2021年4月、マッキンゼー・アンド・カンパニー出身の細谷仁詩氏が取締役上席執行役員に就任した。コンサル出身経営者が、なぜ学研の現場で新たな挑戦をしようと考えたのか。

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 日本企業でコンサルティングファーム出身者を経営層に迎える動きが加速している。コンサル業界情報メディアのコンサルキャリアよれば、2018年から2019年に新規上場した企業のうち、コンサル出身者が経営者を務める企業は8.6%に達した。特に新しくアクセンチュアやボストン コンサルティング グループ(BCG)などグローバルファーム出身者が目立つ。背景には、急速な市場変化やデジタル化の波に対応するため、外部視点や実行力を持つリーダーへの期待が高まっていることがある。

 学研ホールディングスでも2021年4月、マッキンゼー・アンド・カンパニー出身の細谷仁詩氏が取締役上席執行役員に就任した。なぜコンサル出身経営者が、学研の現場で新たな挑戦をしようと考えたのか。就任後どのような変革を実行しているのか。さまざまな改革も含めて3回にわたって、細谷氏に聞いた。【学研、介護事業が「30%成長」の原動力に 「M&Aの成否」を分けるのは?】に引き続き、お届けする。

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細谷仁詩(ほそや ひとし)株式会社学研ホールディングス 取締役/株式会社Gakken LEAP 代表取締役CEO。1986年生まれ。2008年にJPモルガン証券に入社し、株式調査部でアナリストとしての業務を経験。2013年にマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社、2020年同社パートナー就任。2021年に学研ホールディングス執行役員に就任、2022年に上席執行役員、2023年に取締役就任(現任)。2021年にはGakken LEAPを設立し、代表取締役CEOを務める(現任)。以下、撮影は河嶌太郎

学研ブランド統合への挑戦 新体制の舞台裏とは?

――細谷さんの前職はコンサルですが、どのようなきっかけで学研に入社したのでしょうか。

 入社する1年以上前の2020年1月ごろのことでした。前職の同僚が、学研の宮原博昭社長の知り合いだったのです。それで宮原社長から「一度夕食でもどうか」と誘われまして、ちょうどコロナ直前のタイミングでしたので、「まあ行ってみようか」という軽い気持ちで参加しました。

 そのときは、特に転職を考えていたわけではなく、学研という会社も正直、30年ぶりぐらいに名前を聞いたというくらいで、特別な思い入れもありませんでした。移動中に「学研ってなんだっけ」と思い出すくらいで「まだかな、まだかな」のCMソングが頭をよぎる程度でした。

――前職ではどんな業界を担当していたのですか。

 前職では主に半導体や自動車など、製造業を中心に担当していました。ITや電機なども見ていましたが、いわゆる日本の大手メーカー、コングロマリット型の企業が多かったですね。コンサルタントとしては、幅広い事業領域を見られないとトップコンサルタントにはなれませんので、大手日系メーカーなども担当していました。

 ただ、教育サービスのコンサルティングはほとんど経験がありませんでしたし、介護分野も基本的には扱っていませんでした。業界規模が小さいため、コンサルタントの間でもあまり注目されない領域だったのです。

――そこから学研への転職を決断した背景には、どんな心境の変化があったのでしょうか。

 最初は本当に転職するつもりはなく、むしろコンサル営業的なスタンスで軽い気持ちで会食に臨みました。ところが、宮原社長と話していくうちに、学研が19年連続で減収減益にもかかわらず、一部上場企業として存続しているという事実を知り、非常に珍しい会社だと興味を持つようになりました。

 その後、コロナ禍でリモートワークが始まり、コンサルからより事業に近いところで自分を試したくなったこともあり、自分なりに学研の再建プランをまとめてみたんです。営業用のペーパーのつもりで100ページ以上書きました。

 その後、2020年6月ごろに再び宮原社長と会食し、私の提案をとても丁寧に聞いていただき、その姿勢に好印象を持ちました。そこから月に一度、経営陣と1対2や1対3で会う機会を設けました。それが8月、9月、10月、11月と続くうちに、グループ視点に立った成長プラン、戦略などを包括的に示しました。自分で描いたプランを実際に自分の手で実現してみるのも面白いかもしれないと思い始め、最終的には12月から1月にかけて入社を決断し、2021年4月から学研に移ることになりました。

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学研ホールディングスの宮原博昭社長

「既存強化・介護成長・グローバル展開」3本柱の提案

――再建プランは100ページ以上に及んだとのことですが、当時の学研にどのような課題を感じ、どんな提案をしたのでしょうか。

 課題として一番感じていたのは、「会社としてどの方向に伸ばしていくのか」というビジョンや成長戦略が明確でなかったことです。当時の学研は、既存事業の売り上げを伸ばすという方針はあったものの、例えばグローバル展開やDXなど、時代の変化に合わせた新たな成長の柱がほとんど見えていませんでした。特にデジタル分野については、当時ほぼ取り組みがなかったので、これは絶対にやらなければならないと強く感じていました。また、介護事業についても、どのように成長させていくかの工夫や勢いが必要だと考えていました。

 私の提案の柱は大きく3つありました。1つは既存事業の強化とデジタル化、2つ目は介護事業の成長戦略、3つ目はグローバル展開、そして具体的な実行方法の提示です。こうした方向性を明確にし、経営陣がリーダーシップを持って全社一丸となってやり切ることが重要だと考えていました。実際その後の4年間で、これらの課題や提案を一つずつ消化し、実行してきた実感があります。

――そのペーパーは外部コンサルタントとしての視点からまとめたものだと思いますが、今振り返ってどんな価値を感じていますか。

 あのペーパーは外部から見た視点でまとめたものなので、実際に中に入ってからは「できること」「できないこと」の判断がより現実的になりました。ただ、外部から見て「本当にやらなければならないこと」を明確にすることは、経営において非常に重要です。現場にいると、どうしても「できること」の範囲で物事を考えがちですが、時には痛みを伴ってでも、やるべきことに立ち戻る必要があると感じています。そうしないと、会社は徐々に縮小していき、最終的には社員の給与も上げられなくなり、早期退職や事業売却といった事態にもつながりかねません。

 経営者としては、資本家的な発想と経営的な発想のバランスをとることが求められます。資本家からすれば、事業の売却やリストラによって収益率を上げるのが合理的かもしれませんが、経営者は人を守り、給与を上げたいという思いも持っています。そのバランスをとりながら、会社として持続的な成長を目指すためには、外部的な視点も時に必要だと思っています。

学研が重視する「持続的成長」

――アクティビストや資本家の論理と、経営の現場感覚の違いを、実感しているのですね。

 そうですね。資本家の論理は非常にロジカルで、短期的な企業価値の最大化を目指すものです。しかし、現実の経営は必ずしもその価値観や時間軸だけで動いているわけではありません。もし資本家の価値観だけで経営者が動けば、事業売却やリストラを進めて短期間で収益を上げることもできますが、学研グループとしてはそうありたくはありません。アクティビストが入ってこないためにも、自分たちでバランスを取りながら、持続的な成長と社員の幸せを両立させる経営を目指していきたいと考えています。

――コンサルの立場から実際に事業会社の経営サイドに移るのは、やはり大きな違いがあると思います。その一線を越えられた理由は何だったのでしょうか。

 私のキャリアの最初は証券会社から始まりました。米国資本の証券会社だったので、非常に資本主義的で、合理性を重視する考え方の中で働いてきました。その価値観が正しいと思っていた時期もありましたし、コンサルとしても、そうした資本的な発想で多くの企業を見てきました。

 ただ、そうした仕事の中では、どうしても「手触り感」が得られないんですよね。自分の部下を持ち、責任を持って長期的にコミットし、組織や事業が変わっていくのを実感する、そういった手触り感は、事業サイドに入らないと味わえません。

 実際、事業会社に入る怖さもありましたが、当時はそこまで深く想像できていなかった部分もありました。だからこそ思い切って飛び込めたのかもしれません。入社していきなり特命執行役員という立場を任され、経営者としての責任を負うことになりました。その時は「さすがに」と考えさせられましたが、決断のプロセスではむしろ「世間知らず」だったからこそ、思い切れたのだと思います。

 また、私の同僚にもコンサルを続けている人が多くいますが、年齢を重ねるほど事業会社への転身は難しくなります。コンサルとしての地位や収入も高く、そこから新たに下積みを始めるのは勇気が要ります。私自身はJPモルガンやマッキンゼーアンドカンパニーで下積みを何度も経験してきたので、当時35歳で、学研でもう一度やり直すことに抵抗はありませんでした。

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