ヘルスケア企業が音楽ライブを主催 挑戦の先に「社長が目指したもの」とは?
エムスリーグループの3Hメディソリューションは、2016年から音楽ライブ「Remember Girl’s Power!!」を通じたがん啓発活動を展開している。滝澤宏隆社長に企画の意図と本業への影響、これまでの10年で目指したものを聞いた。
がんや希少疾患を対象に臨床試験・治験支援を手掛けるヘルスケア企業の3Hメディソリューション(東京都豊島区)が、2016年から音楽ライブ「Remember Girl’s Power!!」を通じたがん啓発活動を展開している。毎年9月に東京・池袋で開催。同社が運営するがん専門情報サイト「オンコロ」が主催していることから、通称「オンコロライブ」と呼んでいる。
がん情報サイト「オンコロ」、豊島区共催「Remember Girl’s Power !! 2025」は総勢80人のアーティストによる小児がん・AYA世代がん、臨床試験(治験)啓発のためのチャリティーライブだ(プレスリリースより)
2025年は記念すべき10回目の公演となる。9月6日(土)、7日(日)、13日(土)、14日(日)の4日間、池袋西口公園野外劇場とサンシャインシティ噴水広場で実施する。いずれも誰でも立ち寄れるオープンスペースで、観覧を無料とした。公式サイトの配信ページを通じてオンラインでも無償公開する。
ヘルスケア企業が病気の啓発活動をすること自体は珍しくない。ただ、エンターテイメントという形で実施することは日本企業の中では異例だ。なぜ「がん」だったのか。そしてなぜ「音楽」なのか。企画の意図とこれまでの10年を、オンコロライブ主催企業・3Hメディソリューションの滝澤宏隆社長に聞いた。
滝澤宏隆(たきざわ ひろたか)米国カルフォルニア州立大学にて学位を取得。損害保険会社、ゲーム開発会社のシステム開発、Webサイト開発を担当。IT によるヘルスケアイノベーションを目指し、2005年にクリニカル・トライアルの立ち上げに参画し、業界に先駆けて被験者募集システムを構築。2009年に代表取締役に就任
「あえて避けていた」がん領域 必要なのは「知識」と「お作法」
――オンコロライブを開催してから10年間で、どのような苦労があったか、そして本業にどんな影響があったのかをお聞かせください。
まず、がん専門情報サイトの「オンコロ」を始めたきっかけからお話しします。当社はもともと臨床試験支援の事業を手掛けていましたが、がん領域だけは扱っていませんでした。理由は、がん領域は専門性が非常に高く、情報の正確さが命に関わるものであり、簡単に参入すべきではないと考えていたからです。
ただ、親しくしていた経営者仲間のお母様ががんに罹患され、「どんな些細なことでもいいから情報が欲しい」と相談を受けたことがありました。ですが当時は、患者さんやご家族に対して、会社として何も提供できませんでした。それが自分の中で強く心残りとなり、がん領域の情報発信の必要性を強く感じたのです。
――そこからがん情報サイト「オンコロ」の立ち上げにつながるのですね。
はい。ただその時点では、当時の社員の力だけではがん領域をカバーすることはできませんでした。そんな折、2014年に現在の副社長である可知健太が入社しました。彼が入社前に提案してきたのが「がんの治験や情報を専門的に発信するメディアを立ち上げたい」という企画、つまり現在の「オンコロ」でした。私自身も同じ思いを抱いていましたので、両者の考えが合致し、2015年にオンコロを立ち上げることになったのです。
――当初から強い動機と人の縁が重なったのですね。
そうですね。ただ、可知はがん領域の専門性を持っていましたが、情報の知識だけではビジネスは成り立ちません。がん業界でのコミュニケーションや歴史的背景、業界構造を理解し、仕事として成立させるためには、さらに経験が必要だと思っていました。そこで足りない部分を補う人材を求める中で、後にオンコロライブ実行委員長を務める柳澤昭浩さんに声をかけたのです。
私はそれ以前から柳澤さんと、がん以外の治験分野で一緒に仕事をした経験がありました。その縁があり、「がん領域では長く経験を積んでおられる柳澤さんにぜひ」と相談しました。私から直接連絡したのはその時が初めてだったと思います。先生方からのアドバイスもあり、可知と一緒に柳澤さんを訪ねに行きました。偶然ですが、その訪問場所が後にオンコロライブの会場となる場所でした。
――人のつながりと必然が重なって立ち上がったわけですね。
そう思います。がん専門の情報発信は、正確さと信頼性が何より重要です。その重さに応えられるだけの仲間がそろったことで初めて、この事業は形にできたと考えています。
必要なのは「知識」と「お作法」
――やはり「がん」という領域は、治験を長く手掛けてきた貴社でも、特に参入が難しい分野なのでしょうか。
がんは特に、そこで扱う情報が直接命に関わる可能性が大いにあります。そして、がんに関する情報は非常に複雑で難解です。素人が片手間で扱うと間違いを起こし、かえって患者さんに深刻な悪影響を及ぼしかねません。ですから社内にしっかりとした知識や経験を持つ人材がいない限り、決して参入するべきではないと考えていたのです。
その一方で、世の中にはビジネス目的だけでがん情報を発信し、正確性や背景理解の欠けた活動をしている人たちも少なくありません。インターネットであふれる情報も、本当に正しいのか、信頼できるものなのかを見極めるのは難しいですよね。
当時、柳澤さんが話していた「お作法」という言葉がまさに肝だと思います。知識があったとしても、その領域における専門性や暗黙の理解、適切なコミュニケーションの作法が分かっていなければ通用しません。ですから、知識とお作法、この両方を備えて初めてこの領域にしっかり取り組めるのだと思います。
――なるほど、そこからオンコロライブへと発展していったわけですね。
はい。オンコロを立ち上げる際、単純に情報メディアを作ろうという発想だけではありませんでした。自分自身としては「多くの人に良い影響を与えられる仕事がしたい」という思いが常にありました。その思いを形にする手段の一つとして、ライブの企画が浮かんだのです。
インターネットで記事を出すことでPVやアクセス数は測れますが、ライブイベントはより直接的に人の反応を見ることができますし、仕事のコアな部分を表現できる場になると思いました。そういうワクワク感やチャレンジ精神が原動力になりましたね。
実際に柳澤さんに音楽ライブ会場へ連れて行ってもらったとき、あの場の空気を感じて「こういうエキサイティングな場を自分たちで提供できたら面白い」と直感しました。それがオンコロライブをやろうと決めたきっかけです。
KPIは売り上げではなく観客数と寄付額
――一方で経済面というか、お金の問題はどう考えていたのでしょうか。オンコロやライブの立ち上げには、それなりの投資が必要だったと思います。
最初にオンコロを立ち上げた時点で、収益化については「後で考えよう」というスタンスでした。大切なのは、まずユーザーや患者さん、ご家族、医療関係者といった多くの人に認められ、信頼される存在に育てることです。ビジネスとして成り立つためにはもちろん「そろばん勘定」も必要ですが、それ以前に認知や支持を得られなければ話になりません。ですから最初はリソースを思い切って投じ、オンコロという場をしっかり社会に根付かせることを最優先にしていました。
仮に最初から「もうかるかどうか」だけを基準に考えていたら、こうしたチャレンジはできなかったはずです。本当にユーザーにとって意味のある活動かどうかを基準にしなければならないと考え、売り上げのことはいったん脇に置きました。ライブについても同じです。
収益性ではなく「がんのことを多くの人に知ってもらい、何らかの良い影響を与えられるかどうか」を判断の軸にしていました。その結果、共感してくださるアーティストや協賛企業、そして参加者の皆さんに支えられ、今では多くの人にとって意義のあるイベントに成長できたと感じています。
――つまりまず支持を集めなければ、そろばんの話にもならないということですね。では、その「支持」とは具体的には観客数なのか、それとも金額なのか、どこを目指していたのでしょうか。
まずは観客数ですね。これは当時から一番気にしていました。最初のKPIも観客や視聴者の数であり、そこに加えて寄付額です。寄付は観客が自主的に行ってくださるものですから、その大小自体が活動への共感や理解を示す重要な指標になります。売り上げという観点は運営上のデータとして当然に必要ですが、指標には入れていませんでした。あくまで「届けたい情報が、届いているかどうか」を重視していました。
赤字か黒字ではなく「チャレンジ」が重要
――赤字か黒字かというより「届いたかどうか」を軸にしてきたわけですね。それが3Hにとって組織的にはどういう意味を持ち、どのようなプラスにつながっているのでしょうか。
まず一つは「チャレンジ」そのものです。自分たちの本業とは全く異なる取り組みに挑戦すること自体が大きな意義でした。オンコロそのものも最初はチャレンジでしたし、もともと当社は業界の中で誰もやってこなかったことに取り組み、批判を受けながらも道を切り開いてきた歴史があります。ライブも同じで、誰もやっていないことに挑むという文化の延長線上にあるものでした。
その結果、チャレンジを通じて新たに広がったネットワークや人脈から得られる経験は非常に大きいものでした。全く異なる分野での取り組みでも、思考の引き出しが増えることで本業にも良い影響を与えますし、それが最終的に誰か一人でもいいから人の役に立っているのだと実感できるのは、自分たちにとって非常に大きな意味があります。
収益性という観点だけで見れば効率的ではないかもしれませんが、経営という視点で考えればプライスレスな価値が確実にある。世の中を見たときに、何でもすぐにお金に換算してしまいがちですけど、私はビジネスの中にお金に換算できない価値が絶対に存在すると信じています。その点で、これはCSRやSDGsにもつながっていると思います。むしろ「やらされ感」で形ばかり整えるCSRよりも、こうして自分たちの思いから取り組んでいる活動の方が、よほど意味があると感じています。
――確かに、医療に関わる企業にとっては、一般企業以上にそうした社会的価値が求められる面がありますね。
その通りだと思います。私たちの治験事業もまた、どれだけ世の中に広められるかが大きなビジネス上のポイントです。治験が存在することを知らなければ、患者さんも参加できません。興味を持ってもらい、参加していただくには情報を伝える必要があります。それはがん領域に限らず同じことです。
ですから「世の中に正しく広めること」に挑戦するという姿勢は、私たちが担っている医療や治験の領域にとって非常に大きな社会的テーマであり、結果的に会社にとっても確かな意味を持つ取り組みになっていると思います。
既存のレールではなく、新しいレールを作る
――3Hの文化として「誰もやっていないことを切り開いてきた」と話されました。具体的に、過去にはどのようなことをされてきたのでしょうか。例えば、こういう状況をこう打開してきた、というようなものがあれば教えていただけますか。
まず、私たちが大切にしているのは「既存のレールに乗るのではなく、自分たちでレールを作り、新しいスタンダードにする」ポリシーです。その代表的な例が「治験被験者募集」という事業です。今では当たり前のように行われていますが、20年前は業界ではアングラな存在と見なされていました。
当時は「高額アルバイト」のような形で大学生が紹介されるなど、怪しいビジネスとされ、製薬会社も一切認めていませんでした。業界的にも光の当たらない分野だったのです。私たちはそこに正面から取り組み、この事業を健全な形に整え、業界的に当たり前のものにするという挑戦をしました。
2009年に「クロエ」という会社を立ち上げたのも、そのためです。ここには、日本で被験者募集を専門とする企業を成立させ、社会的に認めさせたい狙いがありました。当時、海外での治験参加者募集を担う会社は普通に存在し、業界に根づいていましたが、日本では大きく遅れていたのです。私たちは「怪しい斡旋業者」ではなく「正しい仕組み」として制度化しようと切り開いてきました。
その過程で、「PRO」(Patient Recruitment Organization)という言葉も広がりました。厚生労働省や製薬業界団体にも働きかけ、時間はかかりましたが、ようやく認知されるようになりました。業界における新しい仕組みをつくり、それをスタンダードにしてきたのが私たちの歴史ですし、そこにこそ仕事の価値を感じています。
――まさに医療業界で革新的な役割を果たすチャレンジをしてきたということですね。
そう思っています。新しいことに取り組み、最初は批判されてもチャレンジする、というのが会社の文化なんです。その延長にオンコロやオンコロライブがあるわけです。
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