今は鮮魚を追う、元楽天投手・森雄大さんが見つけた新たな「生きがい」(1/4 ページ)
プロ野球を去り、寿司屋に飛び込んだ元楽天ドラ1投手・森雄大。市場で魚を見極め、銀座で顧客をつかみ、再び本店へ。挫折と再挑戦を経て彼がたどり着いたのは、「人を信じ、人を見る力」だった。
ドラフト1位でプロ野球入りしながら、けがに泣き28歳で引退した元東北楽天ゴールデンイーグルス投手・森雄大さん。第二の人生の舞台に選んだのは、宮城県塩釜市に本店を構える人気回転寿司「塩釜港」だった。
現場での接客から始まり、仕入れ、営業、店舗立ち上げ――。野球とはまったく異なる世界で、森さんはいかに自らの「価値」を再構築していったのか。【前編】に引き続き、新たな仕事に向き合った森さんを追う。
2022年11月、塩釜港仙台本店で働き始めた森さん。体力には自信があったが、プロ野球選手の頃とは違う疲労を感じたという。
「頭を使う疲れでした。接客でお客さんに気を使い、いろいろな業務を覚える。ただ、ファンの方々のありがたみを感じました。仙台のお客さんは僕のことを知っていて、サインや握手を求めてくれる。それが集客にもつながりました」
魚の目利きと野球の共通点
3カ月後、立花社長から新たな指示が下った。「会長の横について、仕入れを勉強しろ」――。
会長とは、塩釜港の創業者である鎌田秀也会長のこと。2023年1月から森さんは拠点を塩釜に移し、毎朝3時起きの生活に切り替え、市場へ通うようになった。
「朝4時に本店に出勤して、5時からの競りに参加します。それまで会長とは仕事をしたことがなかったのですが、常に手取り足取り教えてくれました。『この人はこういう人だからあいさつしなさい』などと、一緒に動きながら学んでいきました」
森さんいわく「海賊船長」のような鎌田会長と日々行動を共にする中で、なぜ塩釜港を開業したのかといった思いも聞いた。そして、魚の仕入れは塩釜港の「肝」だと、森さんはすぐに気付いた。
「まさに会長が築き上げてきた塩釜港の根幹に触れる仕事でした。社長が僕をここにつけてくれたことに、大きな意味を感じました」
魚を選ぶ目利きは、理屈ではなく、毎日市場に通い、体で覚えるものだった。
「野球と同じです。毎日キャッチボールをするように、毎日魚を見る。そうすることで、少しずつ分かってくる。まだまだ壁にぶつかることばかりですが、会長の目利きを見て学んでいます」
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