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【労務担当必見】AIの「ウソ回答」を防ぐ“3つの裏技”AIでアップデートする人と組織

生成AIを「守りの労務」にどう取り入れるかをテーマに、人の判断を補助しながらリスクを最小化するための精度設計、ハルシネーション対策、実務への適用方法について整理していきます。

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 前回は採用と生成AIについて解説しました。しかし、AIを使って採用の精度をどれだけ高めても、入社後の環境が整っていなければ、従業員は活躍どころか定着すらしてくれません。組織における「従業員体験」(EX:Employee Experience)を支える根幹となるのは、制度の設計と運用、いわゆる労務が扱う領域です。

 勤怠、給与、社会保険、さらには休職・復職への対応といった日々の運用は、従業員が安心して働ける環境と会社との信頼を形づくる一方で、極めて煩雑かつ膨大な業務でもあります。法改正への対応や、働く人の価値観の多様化に合わせて複雑化する雇用形態、リモートワークの拡大などにより、労務は「正確さ」と「スピード」というトレードオフとなる要件の板挟みになっています。

 こうした中で、生成AIは労務の現場に新しい“両立”の可能性をもたらします。

 法令や規程に関する文書の要約、問い合わせ対応の自動化、申請内容のチェックといったタスクを効率化し、担当者の負荷を軽減するだけでなく、従業員にとっても分かりやすく親切な案内を実現し、EXの向上につなげることができるようになりつつあります。

 その一方で、生成AIの特性である「ハルシネーション」(誤情報の生成)の影響が最も大きいのがこの労務領域であり、深刻なリスクを生みかねません。給与や労働時間など、「絶対に間違えられない」領域での誤回答は、法的リスクや従業員の不信につながります。AIを安全に活用するためには、単なる導入ではなく、業務構造そのものをAIと共存できる形に再設計する必要があります。

 今回の前編では、生成AIを「守りの労務」にどう取り入れるかをテーマに、人の判断を補助しながらリスクを最小化するための精度設計、ハルシネーション対策、実務への適用方法について整理していきます。


生成AIは労務の現場に新しい“両立”の可能性をもたらす(写真提供:ゲッティイメージズ)

守りの労務 × 生成AI ミスしないための設計

 労務の実務で生成AIを活用する際、最初に直面するのは「どこまでAIに任せてよいのか」という“線引き”です。

 生成AIは膨大な情報を瞬時に処理できる一方で、もっともらしい誤り――いわゆるハルシネーション――を生み出す可能性が常にあります。この特性を理解せずに導入すると、効率化のつもりがかえって致命的なリスクを増やす結果にもなりかねません。

 労務は、企業活動の中でも「一つの誤りが重大な結果を招く」ほど繊細な領域です。特に、給与計算や社会保険料の控除、雇用契約や就業規則の改定などでは、法的根拠を伴う業務が多く、精度の欠如はそのまま企業の信頼の欠如につながります

 このため、AIを使う際には、“任せる領域”と“任せない領域”を設計することが不可欠です。

AIの関与を階層的に考える

 生成AIの活用範囲を整理する上で有効なのが、AIの関与を階層的に考えることです。AIの判断精度そのものを上げるのではなく、AIの関与レベルを段階的に定義するための整理軸として、実務におけるAI導入を安全に進める上で有用な枠組みとなります。

レベル 位置付け 活用例 備考
A0:参考情報のみ AIが提示する情報を人が再確認する 法改正の要約、規程との比較 出力はヒント扱い。判断は人が行う
A1:下書き生成 AIが初稿を作り、人が全件レビュー 就業規則改定案、FAQ草稿 実務で最も導入しやすい層
A2:条件付き自動 ルールを満たす場合のみ自動処理 申請書類の不備検知、書式分類 定期レビューを前提に運用
A3:完全自動 AIが判断と決裁を実施 労務では原則、採用すべきでない

 こうした階層をあらかじめ定義しておくことで、AI導入時の議論が「できる/できない」ではなく、“どのレベルまで任せるか” という実務的な設計論に変わります。多くの企業で実際に導入しやすいのはA1〜A2の範囲であり、AIは判断の前段階を整える“下地作り”の役割を担うことになります。

「精度」と「速度」のトレードオフをどう越えるか

 労務業務で求められる「精度」とは、AIの出力精度ではなく、制度や運用そのものの正確さを指します。全ての従業員に同じルールを適用し、法令や社内規程に則(のっと)って一貫した判断を行う――この「制度運用の精度」こそが、労務さらには人事全体の信頼性を支える基盤となります。

 しかし現実には、制度や規程の更新、雇用形態の多様化、法改正の頻発などにより、この精度を一定に保つこと自体が労務担当者の大きな負担となっています。担当者は、正確さを守るか、スピードを優先するかというトレードオフに常に直面しています。

 生成AIは、このジレンマを緩和する手段として期待されています。AIは定型的で反復的なタスクを得意とし、法改正内容の要約、就業規則の差分抽出、文書間の整合性チェックなど、人が判断するための前提情報を正確に整えることができます。これにより、人が担う判断の質を保ちながら、全体のスピードを高めることが可能になります。

 一方で、AIの導入目的を「効率化」だけに置くと、本質を見誤ります。重要なのは、人が判断を間違えないための環境をつくることです。AIはそのための土台を整える存在であり、「判断を自動化するもの」ではなく、「判断を支えるもの」として設計する必要があります。

 生成AIを労務で活用する際に求められるのは、“自動化”ではなく「補助化」の発想です。AIが出した回答や下書きを人がレビューし、承認し、最終的な判断を下す――そのプロセスを仕組みとして設計しておくことで、AIの誤りを構造的に封じ込めることができます。

 この考え方では、AIの役割が明確です。AIは仕事を奪うのではなく、人がより精度高く仕事を行うための補助輪として作用します。最終責任はあくまで人が持つ。これが、「守りの労務」における生成AI活用の基本原則です。

AIを“安全に働かせる”仕組みづくり

 生成AIを労務に活用するうえで最も重要なのは、AIを「正確に」働かせることではなく、“安全に”働かせる環境を整えることです。

 労務のように「一つの間違いがリスクになる」領域では、AIに誤りを完全になくすことはできません。そのため、誤りを広げず、検知し、修正できる構造があらかじめ設計された運用を行う必要があります。

 そのための鍵となるのが、次の3つの設計原則です。

(1)ガードレール

 生成AIのハルシネーションを完全に防ぐことは困難です。AIが誤った内容を出力する背景には、「情報の偏り」という構造的な要因があります。例えば法令や労働基準、社会保険制度などの一般性が高い領域では、AIが学習・参照できる情報量が多く、比較的正確に回答できます。一方で、企業固有の制度や独自ルール(社内規程、福利厚生、就業ルールなど)は、AIが参照できる情報が限られており、結果として“ありそうな答え”を自動生成してしまう。最も誤りが起きやすいのはこの社内固有領域です。

 したがって、AIを安全に運用するには、「生成の後にチェックする」ではなく、「生成の前に制御する」 という発想が欠かせません。

 例えばFAQ対応では自由回答させず、社内の公式文書を参照して回答を生成する仕組みを用いる。また、回答文の冒頭に「本回答は社内規程の自動要約です。最終判断は人事部門にご確認ください」といったディスクレーマー(注意文)を自動付与するだけでも、誤解や過信を防げます。

 AIを信頼させるのではなく、“信じすぎない”仕組みをつくることが、安全設計の第一歩です。

(2)構造化

 生成AIの出力を「自由形式」にすると、誤りや揺れが生じやすくなります。そのため、あらかじめ出力フォーマットを固定することが効果的です。例えば、

  • 不備チェックでは「判定理由」「根拠条文」「修正案」を固定項目として出力させる
  • 規程改定案では「変更点のみ箇条書きで提示」する

 といった形です。

 AIの自由度をあえて制限することで、確認のしやすさと精度の両立を図れます。この場面でAIに求めるのは創造性ではなく、整合性と再現性です。

(3)透明性

 AIが生成した内容を人が修正したとき、「どこまでがAIで、どこからが人なのか」が不明確だと、ミスの発生源わからずトラブルが生じます。

 そこで、入力内容・出力結果・修正履歴を自動で記録する仕組みを導入すれば、責任の所在を明確に保ちながら運用できます。これは単なるリスク回避策ではなく、AIを人と同じ責任構造の中で働かせるための前提条件でもあります。

 これらの設計原則を踏まえると、生成AIが「守りの労務」として力を発揮できる場面には以下のようなものがあるでしょう。

  • 就業規則や契約書の差分抽出・要約:改定箇所を特定し、レビュー時間を短縮
  • 申請書類の不備検知:一次チェックを自動化し、差し戻しを減らす
  • 労務FAQの一次回答:定型質問をAIが対応し、人は判断を要する案件に集中
  • 監査資料の整理・要約:過去データとの整合を自動で確認し、報告作成を支援

 いずれもAIが「判断の前段階」を支える形で、AIが下地を整え、人が最終判断を下すという分業体制が理想形となります。

 AIを導入すること自体が目的ではなく、AIが安全に、責任を持って働ける環境を整えることこそが本質です。それは制度やルールを正しく運用させ、リスクを未然に防ぐことにもつながります。AIが“組織で働く仲間”として信頼されるためには、人がAIの限界を理解し、正しくマネジメントする必要があります。

 次回は、労務とAIの後編として、「守りの基盤」の上にある“攻めの労務”――従業員体験(EX)を高める生成AI活用――について整理します。


AIが“組織で働く仲間”として信頼されるためには、人がAIの限界を理解し、正しくマネジメントする必要がある

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