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一度はV字回復したが、再び赤字に転落…… 鴻海に左右されたシャープの歴史を振り返る(1/3 ページ)

液晶などで存在感を示したものの、2010年代に赤字転落して債務超過にも陥ったシャープ。そこから鴻海の力を借りてV字回復を果たしたが、近年はまた不調に陥っている。同社の歴史を振り返る。

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著者プロフィール

山口伸

経済・テクノロジー・不動産分野のライター。企業分析や都市開発の記事を執筆する。取得した資格は簿記、ファイナンシャルプランナー。趣味は経済関係の本や決算書を読むこと。 X:@shin_yamaguchi_


 シャープが2026年3月期の第2四半期業績を発表した。収益は改善したものの、売上高は前年比13.3%減の9503億円であり、事業規模が縮小。2024年に堺ディスプレイプロダクト(SDP)でのディスプレイ生産を停止しており、その影響が現れた形だ。

 近年、シャープは鴻海に翻弄されてきた。2016年までにSDPを手放したにもかかわらず、2022年にSDPを再取得。その後、パネル市況悪化の影響を受け、赤字に転落した。鴻海傘下での再生と、SDP再取得の失敗など、あらためて近年のシャープの動向を振り返る。


出所:シャープ公式Webサイト

液晶、太陽電池で存在感を示したが……

 シャープは1912年に創業。1915年に発明した繰り出し鉛筆「エバー・レディー・シャープ・ペンシル」が大ヒット。この製品の成功が現社名の由来にもなった。ラジオ事業も戦前期の発展を支え、戦後はテレビ・冷蔵庫・洗濯機の生産を開始し、総合家電メーカーとして名を上げていった。

 2000年以降、半導体やPCなどの分野で中韓勢が台頭し、日本の電機メーカーが苦戦するなか、シャープは液晶に賭けて存在感を示すようになる。2001年に発売した液晶テレビシリーズ「AQUOS(アクオス)」がヒットすると、2004年には亀山工場での生産を開始して「世界の亀山モデル」をうたい文句に製品を展開する。


アクオスの1号機(同前)

 2009年にはシャープディスプレイプロダクト(SDP、後の堺ディスプレイプロダクト)を設立し、堺工場での液晶生産を開始。堺工場は亀山工場の4倍の規模で、初期投資に約4000億円を投じた。この頃のシャープは太陽電池でも攻勢をかけており、2000年から7年連続で太陽電池の生産で世界シェアトップを維持していた。

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