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「マグロより高いコーヒー豆」を落札し続けた、茨城の喫茶チェーン 倒産相次ぐ中で、年商25億円(5/7 ページ)

喫茶店の倒産が相次ぐ中、茨城発の「サザコーヒー」は世界最高級豆の落札や独自の店づくりで年商25億円規模へ成長した。東京進出や店づくりの戦略を取材した。

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「家業を継ぐ気はなかった」が…… 東京進出を決断

 サザコーヒーは1969年に太郎氏の父、鈴木誉志男氏(現会長)が開業。その後、誉志男氏が地元経済界に求められて、1996年に「勝田信用組合(現・茨城県信用組合)」の理事長に就任(〜2004年)すると、同年から2020年までは誉志男氏の妻(太郎氏の母)である美知子氏が社長を務めた(誉志男氏は同信用組合理事長退任後にサザコーヒー会長に就任)。

 2020年、副社長だった太郎氏が母の跡を継いで3代目社長に就任する。就任時はコロナ禍の真っただ中で、喫茶業界にとって厳しい時期だった。

 今でこそ社長業が板についた太郎氏だが、もともとは「家業を継ぐ気はありませんでした」という。大学時代は、東京農業大学で大坪孝之博士(果樹学研究室。現在は「日本梅の会」会長)の指導を受けて果樹の「接ぎ木」(別々の植物をつないで育てること)技術を研究しており、将来は農業分野での起業も考えていたという。

 「父が1997年に南米・コロンビアで購入した農園の整備のために、僕が現地に渡ったことで、コーヒーづくりに深く関わるようになりました」

 現地でコーヒー栽培に向き合う中で、コーヒーの品種改良や栽培に熱中した。コロンビアでの経験を経て帰国すると、経営にも積極的に関わるようになった。

 当時、サザコーヒーの店舗は茨城県内のみ。県内ではすでに知られた存在だったが、太郎氏は危機感を抱いていた。

 「地元でどれだけ愛されても、東京に出なければ、自分たちのコーヒーの価値は全国に伝わらないと思っていました。経済も情報も人も東京に集まる。茨城だけで頑張っていても、全国ブランドにはなれないと感じていたのです」

 産地や品質にこだわった自社のコーヒーは首都圏でも通用すると考え、東京進出を決断した。まず力を入れたのが、百貨店催事への出展だ。

 「日本橋三越本店の催事からお声がけがあり、勢い込んでスタートしたのですが、初日の売り上げはわずか8000円でした。そこで、お客さんに僕たちのコーヒーの味を知ってもらうため、朝から閉店まで無料の試飲コーヒーを淹(い)れ続けました。毎日500〜600杯は提供したと思います。そこから購入される方が増えて、催事の日商は26万円まで伸びました」

 同社は「タダコーヒー」という異名を持つ。東京での催事に限らず、昔から高級な豆を惜しみなく試飲用に無料で提供したことから、いつしかそう呼ばれるようになった。

 その後、渋谷の東急東横店(当時)が運営する「東急フードショー」に複数回参加し、コーヒーの即売会を実施。出店企業の中で売り上げトップを記録したことが転機となり、2005年、JR品川駅構内の商業施設「エキュート品川」に東京1号店を出店した。

 2007年には「サザコーヒー エキュート大宮店」をオープンし、埼玉県にも進出。2022年には東京のJR新橋駅構内に「サザコーヒー エキュートエディション新橋SL店」を出店するなど実績を積み、現在ではJR側から新規出店の誘いを受けることも増えたという。


新橋店開業時に開発した「新橋SL」コーヒー豆(画像:2022年に筆者撮影)

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