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年商25億円の茨城の喫茶チェーン「サザコーヒー」に学ぶ、地域密着型の差別化戦略(3/5 ページ)

年商25億円を誇る、茨城の喫茶チェーン「サザコーヒー」。喫茶店の倒産が相次ぐ中で、同社が生き残れたのは地域密着型の「差別化戦略」にあった。その取り組みについて、創業者に取材した。

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映画館が経営不振となり、喫茶店を開業

 1969年に「サザコーヒー」を開業するまでの経緯についても聞いてみた。

 「店の前身は1942年に開業した映画館『勝田宝塚劇場』です。当時は戦時中で、物資増産地区として日立製作所水戸工場が新設され、工場の従業員を慰安する娯楽場所として誕生しました。建設主は東宝で、劇場の資材・建築費一切を日立製作所が負担。当時、日立の建築技師だった私の父・富治が建築を主導したのです。その後、戦後になって父が東宝から株式を取得して社長となり、昭和30年代に映画の全盛期を迎えますが、テレビの台頭により斜陽化。経営が悪化した際に私が隣の空き店舗をコーヒー屋にしました」

 当時20代の鈴木氏は映画興行のプロデュース業務に携わった後、家業を手伝っていた。映画館の来場客向けにコーヒーを提供していたこともあり、新たな事業として喫茶店を開業したという。もっとも、開業時はコーヒー愛が強かったわけではなかった。

 「喫茶店店主となってから関心が高まり、必死で学びました。柴田書店の季刊誌『喫茶店経営』を愛読して勉強し、借金をして喫茶店組合主催の南米コーヒー生産地の視察旅行に参加。焙煎機を購入して自家焙煎をスタートし、コーヒーを研究し続けました」


創業者の鈴木誉志男会長(画像:筆者撮影)

 サザコーヒーを開業した時期は、日本でコーヒー文化が広がり始めた時期とも重なる。

 「喫茶店の数は最盛期に比べて大幅に減りましたが、コーヒーの輸入量は約6倍になりました。飲食店だけでなく、自宅や職場などでコーヒーを飲む習慣が広がったためです」

 実際、喫茶店の店舗数は「15万4630店」(1981年)から「5万8669店」(2021年)へと減少した(参照:全日本コーヒー協会「喫茶店の事業所数及び従業員数」)。一方、コーヒー生豆の輸入量は「6万9446トン」(1969年)から「40万9253トン」(2024年)へ増加している(参照:全日本コーヒー協会「日本のコーヒー生豆の国別輸入量・単価」「暦年別コーヒーの輸入数量」)。

 喫茶店という業態は減少したものの、コーヒーそのものの需要は拡大した。そうした市場環境の変化も追い風となり、サザコーヒーは成長していった。

 ちなみに、「サザ」という珍しい店名は、鈴木氏が茶道を学ぶ中で知った言葉「且座(さざ)喫茶」(さあ、座ってお茶を飲みなさい、という意味)に由来する。

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