「若者の街」はどこへ 西武と東急「渋谷100年戦争」、西武渋谷とハンズ閉店の影響はどう出るのか:長浜淳之介のトレンドアンテナ(2/4 ページ)
若者の街として知られる渋谷だが、近年は大人の街へと姿を変えつつある。この100年にわたり、街づくりを進めてきた西武と東急のシンボル的な店も閉店を控える。今後、渋谷はどうなっていくのか。
ストリート文化は、西武から生まれた?
西武グループと渋谷の関係はかなり古い。大正時代、西武グループの創始者である、箱根土地(現・コクド)の堤康次郎が道玄坂エリアの一角を買収し、名店を集めた「百軒店」を開発した。被災した下町の老舗飲食店や劇場を、当時は新開地だった渋谷に誘致。無からにぎ賑やかな盛り場を鮮やかに創り出した。現在の渋谷の繁栄の土台を築いた。
一方、東急グループの創始者、五島慶太は1927年、渋谷と現在の横浜駅の近くを結ぶ東京横浜電鉄(現・東急東横線)を開通させた。1934年には渋谷駅に東横百貨店を構築し、駅周辺ににぎわいを創り出した。
このように、駅前の東急、ストリートの西武は、渋谷開発の二大勢力であり、堤康次郎の跡継ぎである堤清二が渋谷に着目したのも、西武の歴史を踏まえてのものだ。
西武渋谷店は、A館とB館を空中回廊が結ぶ、独特の構造になっている。駅側のA館はレディースファッション、食品、化粧品などを配置。B館にはメンズファッション、デザイナーズブランド、現代アートのギャラリーなどを配して、両館をストリートのように行き交うのがコンセプトだった。どっしりと構えた造りのオーソドックスな百貨店ではなく、路面の延長線上にあるような新しい百貨店の在り方を提案した。
往年の西武渋谷店には、DCブランドと言われた、世界を目指す日本発のファッションデザイナーたちがしのぎを削った。山本耀司(ヨウジヤマモト、ワイズ)、三宅一生(イッセイミヤケ)といった精鋭のデザインした服が並び、さながらアパレルの梁山泊であった。
一般的な百貨店は売れ残りをメーカーに返品する委託販売が一般的だったが、西武百貨店はSEED館(現・モヴィーダ館)などでバイヤーが商品を買い取って販売し、まだ売り上げが小さく資金力が乏しかった才能あるデザイナーたちを支えた。現在のモヴィーダ館は無印良品が入居している。このモヴィーダ館とロフト館は、西武渋谷店を経営するそごう・西武の所有であり、西武百貨店の閉店後も存続する。
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