ロート製薬が生成AI活用で取り組んだRAG構築とプロンプト教育の舞台裏

生成AIを導入したものの、利用率の低迷に悩んでいたロート製薬。生成AIから期待する回答を引き出し、社内で効果的に活用するために「RAG」を構築した。これによって、社内データに基づいた回答の取得が可能になり、生成AIを積極的に活用する従業員が増えたという。

» 2024年09月26日 08時00分 公開
[元廣妙子ITmedia]

 RAG(Retrieval-Augmented Generation)は、生成AIが学習済みの一般公開情報を補うため、未公開の専門情報や企業独自の社内情報を追加学習させ、より専門的な回答を得るための技術のことだ。生成AIを長期的に活用したいとする企業を中心に関心が高まっている。

 ロート製薬は、RAG構築に取り組んでいる企業の1社だ。DX(デジタルトランスフォーメーション)推進の一環として企業向けの汎用型生成AIの活用を開始したものの、限られた業務への活用にとどまり、利用者数も全体の約3割と伸び悩んでいた。生成AIから期待する回答を引き出せていないためだと判断した同社は、解決策として「RAGによる『ChatGPT』の社内データ連携」に乗り出した。

 その他、ギブリーの協力の下「ChatGPTへの指示出し(プロンプトエンジニアリング)のワークショップ」を実施し、これらの施策によって生成AIを積極的に活用する従業員が増えたという。ロート製薬の板橋祐一氏(執行役員/CIO兼IT/AI推進室長)と佐藤功行氏(リテールマーケティング部副部長兼戦略デザイン本部Designer)が、同社のDXに対する考え方や生成AI活用促進のための取り組みを語った。

「期待した回答が返ってこない」問題の解決策

 「目薬の会社」というイメージが強いロート製薬だが、目薬の売り上げは全体の2割程度で7割をスキンケア製品が占める。製品カテゴリーは医薬品から化粧品、健康食品、一般食品まで多岐にわたる。

 前職の富士フイルムでICTを活用した経営変革に取り組み、2021年にロート製薬に入社後、執行役員/CIO兼IT/AI推進室長として同社のDXを推進している板橋氏は、DXの本質は「デジタルで変身すること」だと説明する。

 「100年前、主な移動手段が馬車から自動車に移行しました。これはつまり、自動車を運転できる人が増えたことを意味します。新しい技術の普及では、技術を使いこなす人が増える必要がある。これが、DXの実現に向けた大きなヒントになると考えています」(板橋氏)

 板橋氏はさらに、ロート製薬のミッションである「デジタルで従業員の能力を最大化する」を実現するには、担当者が技術やサービスを推進するだけでなく、従業員一人一人が自分ごととしてデジタル化に取り組む必要がある、と強調する。

 「企業のDX推進プロジェクトでよく見られるのが、社長直下にDX推進本部を設置し、本部長がデジタル戦略をリードしていくパターンです。私もその立場を担ったことがありますが、この体制だと従業員が受け身になり、変化が全く起きないケースも珍しくありません。望ましいのは、各部門の中に現場に近い推進者が存在し、後方にデジタル化を支援するグループを置く体制です。この体制だと各部門が一体となって取り組むことになり、前者よりもはるかにうまくいくと考えています」(板橋氏)

 ロート製薬はこうした考えの下、これまで開発部門や製造部門をはじめとするさまざまな部門の業務をデジタル化してきた。データ活用やRPAによる自動化では一定の成果を上げたが、AIに関してはローコードツールでAIモデルを構築するなど試行錯誤したものの、実用化には至らなかった。

 「AIをどう活用すべきかで悩んでいたタイミングでChatGPTがリリースされ、『今までのものとは違うのではないか』と感じ、使ってみることにしました」(板橋氏)

 ロート製薬は、2023年5月ごろから企業向け汎用型生成AIを社内で使い始めた。半年間の運用で事務的な業務に携わる1200人の約3割が利用したが、日常的に利用する従業員は全体の1割程度で、用途は翻訳や要約、原稿作成、プログラミングなどに限られていた。

 「生成AIが使われない理由は明確で、期待した回答が返ってこないからです。なぜかというと、生成AIが社内の独自データを踏まえていないためです。また、質問や作業指示のスキルがないことも原因だと考えました」(板橋氏)

 解決策として、ロート製薬は「RAGによるChatGPTの社内データ連携」と「ChatGPTへの指示出し(プロンプトエンジニアリング)のワークショップ」の実施を決めた。

RAGによるChatGPTの社内データ連携

 RAGによるChatGPTの社内データ連携は、「Rohto Copilot」の開発と運用によって実現した。Rohto Copilotは社内の独自情報を学習させた専用のGPTで、「Microsoft Azure OpenAI Service」やOpenAIのAPIエンジンが使えるように設計されている。

 Rohto Copilotによって、社内の情報を基にした回答の取得が可能になった。例えば、育休制度についてRohto Copilotに質問すると、会社の規定に基づく回答を参照元と共に示してくれる。これによって専門部署への問い合わせ時間が大幅に短縮され、担当者の負荷が軽減された。担当者は削減した時間を知見の拡大や情報のアップデートに充てられるようになった。

 ただし、RAGにもハルシネーションのリスクはあるため、読み込ませるデータの精度や鮮度、量を常にベストな状態に保つ必要がある。

 「RAGは研究途上の分野であり、取り組む過程で多くの発見があります。読み込ませるデータの区切り方や使用するRAGの手法によって回答精度が変わる他、モデルの性能向上によるマルチモーダル化への対応などにより、さらなる実用性の向上が期待できます」(板橋氏)

プロンプトエンジニアリングのワークショップ

 プロンプトエンジニアリングのワークショップは、生成AIの企業活用を支援しているギブリーの協力の下で実施された。ギブリーは、企業の生成AI環境の構築から運用までを支援している会社だ。板橋氏によれば「生成AI活用に取り組む他社の知り合いからギブリーを紹介してもらった」という。

 ロート製薬では、1000以上の製品を約200人の営業部員が担当している。製品カテゴリーが幅広い上、全ての製品について理解することが担当者に求められており、社内営業レポートやクライアントと共有する商談議事録、記録表などを作成する時間が長くなる傾向があった。また、レポートは1日に150〜200件提出され、レポートを受け取るチームはそれらの細部に目を通すだけで精一杯で、蓄積されたデータを活用したりクライアントの課題把握や解決に時間を割いたりする余裕がなかった。加えて業務が属人化し、アウトプットの仕方や粒度が人によって異なる点も課題だった。

 「生成AIを活用してレポートを標準化すれば、市場の兆候や細かなデータを読み取れるようになり、販売戦略に生かせるのではないかと考えました」(佐藤氏)

 ワークショップには、営業部門の14人が3つのチームに分かれて参加した。営業業務の中からAI化できるタスクを選定し、各チームが最低5アウトプットを目標にして、約2カ月の間に1時間のワークショップを5回実施することになった。

 初回は講義を実施し、生成AIやプロンプトに関する基礎知識を学んだ。その後の5回のワークショップでは、解説を受けて各チームがテンプレートを作成し、「Microsoft Teams」でギブリーと共有してアドバイスや添削を受け、次回のワークショップの冒頭で振り返るというサイクルを繰り返した。テンプレートは、営業業務全体の網羅性や補完すべき箇所を確認しながらブラッシュアップしたという。

 このとき作成されたテンプレートのうちの一つが、小売店の店頭日報から各ブランドの兆しを読み取るテンプレートだ。これによってマーケティングの担当者は、顧客の反応を詳細に把握し、迅速に追加の対応策を講じられるようになった。例えばテスターが汚れやすい店舗の傾向を分析し、スタッフが訪問する日を待たずに本部から直接テスターを送って機会損失を防ぐことが可能になった。また、特定の世代にどのような商品が売れているかを把握し、データを次の商品開発につなげられるようにもなった。

 ワークショップを実施した結果、参加した従業員はプロンプトの書き方を習得しただけでなく、積極的に生成AIを活用するようになった。また、同僚にテンプレートの良さを進んで広めているという。

 佐藤氏は、今後は各企業に向けた提案書の作成にも生成AIを活用していきたいと話す。また、営業部門から始まった生成AIの活用はマーケティング部門や生産部門にも広がり、「企画やコピーライティング、パッケージデザイン案、報告書作成、データ加工、GPTsなどに使える可能性を感じている」(佐藤氏)という。

 今後はさらに多くのプロンプトエンジニアリング人材を育成する目的で、研究開発部門や間接部門をはじめとする部門でもワークショップを実施する予定だという。

生成AI活用のスローガンは「Fail fast, Learn fast」

 ロート製薬は、今後はRohto Copilotを社内の業務用のデータベースとつなぎ、自然言語で指示すると結果がすぐにグラフで表示されるような仕組みを構築する予定だという。

 「今までは『Microsoft Excel』でこうした業務を行っていましたが、自然言語による指示だけでグラフを表示できればさらなる効率化につながります」(板橋氏)

 最後に板橋氏は、今後のDX推進について次のように語った。

 「AIの時代だからこそ、今後人がやるべきなのは『問いを立てること』です。これは人にしかできません。それから『採否の判断』です。ChatGPTが考えた案のどれを採用するかを決めるのは人です。また、『正答集にはない、価値ある答えの探求』も今後さらに重要になってくるでしょう。当社の生成AI活用のスローガンは、『Fail fast, Learn fast』です。早く失敗して早く学び、一人一人が自分ごととして取り組む、そんなDXをこれからも推進していきます」(板橋氏)

本稿は、ギブリーが2024年4月12日(金)に主催したロート製薬が語る、生成AI活用を促す「社内データ連携・プロンプト開発ワークショップ」の内容を編集部で再構成した。なお、本稿の内容は取材当時(2024年4月時点)のものである。

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