「課題を見つけ、その解決にデータを生かす」は、スローガンとしては分かりやすいが実践するのは難しい。特にデータに慣れ親しむ技術者以外の部門に、業務データ活用やAI活用の思考を定着させるには組織的な活動が重要だ。ムラタの実践例とカリキュラムの実例から手法を学ぶ。
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DX人材の育成は、多くの企業にとって大きな課題となっている。そんななか既存の研修制度を時代に合わせてリニューアルしながら成果を上げているのが村田製作所(以下、ムラタ)だ。
ムラタは長期構想「Vision2030」のもとでさまざまな領域でDX推進を推進中だ。Vision2030の第一フェーズ「中期方針2024」(2022年度〜2024年度)では、4つの中期経営課題を掲げる。その一環として推進するのが「DX人材育成の強化」だ。
ムラタはDX人材を「課題設定、推進をする人材」「データ分析、活用する人材」「データ環境を構築する人材」の3タイプに分け、それぞれが自身の担当領域だけでなく、他の人材のスキルについて理解を持ち、互いに協力し合って成果を出すことを目指している。これらDX人材を育成する上で中心的な取り組みとなっているのが研修だ。
企業のデータ活用、AI活用の研修プログラムは外部講師を招いて一般的な課題に取り組むケースも多いが、同社は長年データ活用スキルを向上させるプログラムを自社で開発しており、20年以上前からデータマイニング研修を実施するなど、データ分析と活用に積極的に取り組んできた。
例えばデータマイニング研修では、量産データを活用し、品質改善につなげていくという実践的な内容で、実際に自身のテーマを使って課題設定から分析、改善までを半年間で支援をしながら実施するものだ。受講者は2023年時点で700人を超える。
データ活用人材の数でいえば相当数に上る。さらに近年は、データ活用を会社のコアコンピタンスに昇華させるべく、データアナリティクスや機械学習(ML)、AIなどについても、既存の研修のブラッシュアップや新たな研修コースの設置などによって強化する。
同社の研修プログラム開発と定着までの仕組みは、プロジェクト推進者が組織をうまく巻き込む仕組みづくりがカギを握る。その取り組みをけん引したのが同社 モノづくり統括部モノづくり強化推進部の髙嶋真吾氏(情報活用推進1課 チームリーダー)だ。
中期方針2024におけるデータ活用人材育成の取り組み例の1つに、1つにMLを含むAIプラットフォームを活用した「テーブルデータ活用コース」がある。
テーブルデータは、構造化され表形式に格納されたデータのことを指す。非構造化データを代表する画像データの分析と対になる形で研修に組み込まれており、AIモデルを用いることでデータ分析の現場活用を進める。テーブルデータから「製品の特性値」や「中間指標の予測式」を作成し、予測式を活用して品質改善を図るプログラムなどがその例だ。以降で髙嶋氏に直接取り組みを紹介する。
──モノづくりに関わる企業は「データ&AI」という言葉が生まれる前からデータを重視してきた印象です。データ活用スキルのある従業員も多いと思いますが、改めて「DX人材育成」の中でデータ活用の研修プログラムを開発したのはなぜでしょうか。
髙嶋氏: モノづくりの改善活動にデータは欠かせません。当社において組織的にデータ活用人材の育成を始めたのは20年以上前にさかのぼります。ただし、従来は品質改善やその周辺領域をスコープとしてきたことから研修プログラムの対象となる人員も限定的でした。しかし、現在はあらゆる業務でデータを持っており、それを活用できる状況にあります。従業員全員が自発的に課題を見つけ、分析し、解決策を見つけ出すデータ活用スキルを身に付けることで事業推進のスピードを早められ、組織全体の成長につなげられると考えています。そこで従来のデータ分析人材育成プログラムを見直し、設計・製造や品質管理に関わる人材以外にも門戸を開き、製造部門全体を対象としたプログラムを開発することになったのです。
当社の研修プログラムには3つの特徴があります。1つは「組織横断の体制構築」です。さまざまなタイプのDX人材を巻き込んでプロジェクトを形成し、それぞれの人材が協力し合って成果を出すことがコンセプトです。というのも、 従来のデータ分析、データ活用でも関係者の参画は必要でしたが、AI導入プロジェクトは特に関係者に当たる組織の範囲は広くなる傾向が強く、それぞれの立場や視点を意識しながらチームで取り組む意識が重要になるためです。
データアナリティクスを担当する分析担当者の他にも、プロジェクトマネジメントを担うリーダー、作成した予測モデルを業務に適用するための課題設定や推進を担うデジタル業務改善人材、作成した予測モデルをシステム化して実装していく自動アプリの人材などが関わります。各チームが密に連携しながらプロジェクトを進める必要があるため、研修プログラムにも組織横断の体制を適用しています。
2つ目は、「社内DXの推進メンバーが講師を担当すること」です。講師はモデルの構築の知識だけでなく、プロジェクトマネジメントや業務設計におけるテスト回りのスキルも求められます。講師を外注することも考えられますが、現場の状況を理解する社内推進メンバーが講師を務めたほうが、効率的かつ円滑に本質を捉えた支援を期待できます。講師は受講者教育はもちろん、プロジェクトリーダーや他のチームフォローなど、プロジェクトが円滑に進むように支援に取り組みます。この方法は講師にとっても幅広いスキルを身に付ける機会になっています。
3つ目は「経営層参画の推進」です。プロジェクトを成功させるためには、経営層の参画が欠かせません。そのため、プロジェクトを実施する際に、事前に部門長や管理職に重要性を説明し、工数を把握していただき、メンバーへの動機付けに関与するよう依頼することまでを組み込んでいます。
仮に経営者側の参画意識が弱いと感じた場合は、講師からの報告頻度を増やすなど、経営層に関与する意欲を高めていただけるように、活動やその成果の理解につながるアプローチを試みています。結果的に当社経営層からはわれわれの取り組みを積極的に支援していただいています。
──DX人材、データ分析人材育成に取り組む企業は増えていますが、形骸的な研修にとどまってしまい実践に役立たなかったたり一部の人材だけが活用したりと、簡単に進まないことも多いと聞きます。プログラムを開発するに当たり、この問題をどう解決しているのかをお聞かせください。
髙嶋氏: 例えば、データアナリティクスコースは、AIを作るだけではなく、安定した実運用と維持管理をする仕組み作りもプログラムに含めています。ただ、これまで経験したことないAIプロジェクトを、課題設定から実運用まで実施するのは受講者にとってはかなり難易度が高くなります。そのための工夫として、私たちはノウハウ集やテンプレート類を充実させています。
ノウハウ集は、取り組み方の基本を学ぶことを目的としています。例えばデータ準備の注意点、モデル構築での予測精度向上の方法、予測モデル導入後の精度劣化時のパターンと対処方法などが挙げられます。
一方、テンプレート類は実際に活用するときに便利なものとして整備しています。プロジェクトの各タスクが階層化してまとめられたスケジュール付きWBS(Work Breakdown Structure)、安定運用に必要な運用の各業務フローなどがその代表例です。取り組みを進める中で、悩みやすい、失敗しやすい箇所、大幅に時間を要する箇所を中心にドキュメントを整理することで、初挑戦でも迷うことなく、明確に取り組みを進められる環境を整えています。
──情報面の支援以外の環境整備はどうされていますか。
髙嶋氏: プログラミング不要なAIプラットフォームの構築と、実装環境の整備を進めています。プロジェクトの中で工数が大きくかかる部分はモデル構築と実装時のシステム開発です。モデル構築は、AIプラットフォームの「DataRobot」を活用し、実装は社内でAI実装ツールを内製して解決しています。
──AIモデル構築においてDataRobotを導入した理由は。
髙嶋氏: モデル構築には多くの工数がかかります。また、実装時のシステム開発やモデルの維持管理の仕組み作りにもさらに工数がかかります。そのため、モデル構築をできるだけ簡単に実現することで全体の工数を下げようと思いました。幾つかのツールの中からDataRobotを採用したのは、ノーコードでも活用できることと、ユーザーフレンドリーで感覚的に操作ができる点を評価したことによります。
──研修は半年間とのことですが、実際にどういった効果が得られるのでしょうか。
髙嶋氏: 例えばテーブルデータに関する研修では、AIモデルを使って製品の特性値を予測する式を作ります。その予測式を使って、製品を最適に加工するための条件を自動的に指示するような仕組みを作り、製品をよりよく量産ができるような内容を用意しています。
従来は、担当者の過去の経歴や経験に基づいて定期的に発行条件を調整していました。ただ、担当者の調整にも限界があります。そこでAIモデルを使って前行程のデータごとに特性値を予測する式を作り、それを用いることで、ロットごとに加工条件の最適制御が可能になり、良品率の向上と担当者の負担を削減できるようになりました。
──企業が提供する研修プログラムは基礎的なものが多く、いざ実践しようとすると研修のようにいかない、というケースもよく聞きますが、研修の段階で現場の課題を使ってモデル構築を学ぶ方法を採っているのですね。
髙嶋氏: プロジェクトメンバーが得られる知見やノウハウとしては、プロジェクトの進め方、具体的には必要なデータの整理方法、予測精度に影響を与える因子の絞込みやモデルへの組込み方、予測結果や評価結果を踏まえた現場改善活動(データ取得方法の改善等も含む)、構築した予測モデルを安定運用するために必要な業務の理解などが挙げられます。
これらを身に付けることで、研修後も自部門で作成した予測モデルをブラッシュアップしたり、類似のテーマを進めることができるようになると考えています。
──講師やAIモデル構築など、研修は内製を基本にしているとのことですが、その意図は。
髙嶋氏: 実際に現場で抱える課題をスムーズに解決していくためには、現場の課題を理解している講師と、課題解決のアプローチを自分たちで作り出すことが重要です。この部分は、外部の講師に依頼するだけでは実現が難しい部分であり、社内で取り組むことの価値が最大限に引き出せるところだと思っています。
──経営層の参画というお話がありましたが、実際には難しいと感じる方も多いと思います。ポイントはありますか。
髙嶋氏: たしかにWebメディアなどを通じて「経営層の参画がないためにプロジェクトが失敗してしまった」というエピソードは各所で見聞きしますね。
プロジェクトの成否を分けるのは、プロジェクトオーナーが勇気を出して一歩踏み出せるかどうかにかかっていると感じます。一番大事なことは「怖がらずに、面倒くさがらずに経営層と話をすること」ではないでしょうか。実際に話をしに行ってみると「どこで視座が合わないか」も把握できますし、「視座を合わせていただくために何が足りないか」も分かります。
──経営層が従業員の話を聞いてくれるかどうかも重要そうです。
髙嶋氏: そこはムラタの強みだと思っています。経営層の方もしっかりと下の意見に耳を傾けてくれます。こちら側が企業価値につながる部分を伝え、的を射た話をすれば協力していただけます。私は中途入社ですが、これまでの経験と比較しても理解のある経営層、管理職が多い印象を受けています。
──データ分析やAI活用というと、精度やモデルといった技術の話になることが多いですが、組織や文化、教育の施策にこだわっていることが特徴的です。
髙嶋氏: それが従来のデータ分析プロジェクトやAI活用プロジェクトとの違いかもしれません。精度やモデルはあくまでプロジェクトのごく一部で、プロジェクト成功には、その前後のプロセスがより重要。また、もう少し広い視野でみると、そういったプロジェクトが組織内で自然に進むような組織や文化の醸成が重要と考えています。
──ありがとうございました。
髙嶋氏は2025年度からDX人材開発プログラムの開発を離れ、新たに同社タイ拠点におけるデータ活用とDX推進を進める。タイ拠点には同社の主要製品であるMLCCをはじめとした8つの製造工場(「ファクトリー」)があり、各ファクトリーの製品やビジネス構造に適したデータ活用のあり方を模索する。各ファクトリーに赴いて課題を把握し、最終的には「拠点全体の損益の改善」につなげるデータ活用、DXを実現する計画だ。
同氏はデータ活用人材育成プログラムを推進するに当たり「データマネジメントやプロジェクトマネジメント、現場へのコンサルティングなどの経験が重要」「経営層と視座を合わせるための活動も重要」と語り、自身もIPAのプロジェクトマネジャー、中小企業診断士などの資格も取得して知識やスキル向上にも務めている。「データ活用人材育成」を支援するサービスやプログラムはさまざまな形態があり得るが、自身で「自社のあるべき組織」を考え、プログラムを開発し、プロジェクトを推進することで得られる知見もある。ワガコトとして自社の成長を考え、経営層のワガゴト化につなぐ方法を模索しながら走る髙嶋氏のアプローチは、組織改革の参考になる点が多いのではないだろうか。
(取材担当:荒民雄)
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