椎名が担当する新規顧客開拓は、一進一退が続いていた。大手スーパーの「ジャスト」では、他社ビールでフェイスはいっぱいである。サンドラフトは、新製品はおろか定番商品もまともに置ける状況ではない。椎名は飲料販売担当の唐沢主任の元に何度も足を運び、こまごまとした手伝いをしながら、チャンスをうかがっていた。
その努力も実って、やっと、来週提案書を見てもらえることになった。しかし、なかなか妙案が浮かばない。ゴミ箱は、書き損じですでにあふれかえっている。椎名は気分転換に休憩コーナーに向かった。そこで雑談をしていた坂口と水元が声を掛ける。
坂口 「椎名さん、元気ないですね。どうしたんですか?」
椎名 「来週の提案書なんだが、妙案が浮かばなくてな。インパクトのある提案を出さないといけないんだが、フェイスを増やす手立てが思い浮かばないんだよ」
坂口 「いまあるスペースは各社一歩も譲れない状態なんですよね。そうするとどこか別のスペースを確保するしかない……。あ、そういえば、イベント用のスペースってありますよね。そこにビールを置いたらどうですか」
椎名 「あるにはあるが……。あそこは肉売り場の近くで、ビール売り場からは離れているし、置く理由がないぞ」
水元 「肉にビール! バーベキューパーティみたいですね。お腹空いてきちゃた!」
椎名 「バーベキュー……。それだ!! 確か再来週に、ジャストでキャンプ用品のフェアがある。それと連動させて焼肉、ビールのクロスセリングを提案しよう!」
坂口 「良いですね。顧客の売り上げに貢献できる良いアイデアですよ」
椎名 「しかしいまからでは、インパクトのある資料を作る時間がないなぁ」
いままでは、手書きやワープロを使った紙の資料とホワイトボードでプレゼンをやっていたのだ。そのため、他社とのプレゼンでは苦戦続きだった。プロジェクターを使うことすらまれだったのだ。
坂口 「ちょっと待ってください」
坂口は自分の席に戻ると、PCにいくつかのCD-Rを入れて中身を確認していた。目的のものを見付けると少し得意げに戻ってきた。
坂口 「椎名さん、自分が仙台のときに提案用に使ったパワーポイントのプレゼン資料がありますから、それを使ってください」
椎名 「でも使い方がよく分からないんだよ」
坂口 「自分が手伝いますよ!新規顧客獲得は、今年の営業部の最大目標ですからね。課長も許してくれるでしょう」
椎名 「よし、それは俺から頼もう。うまくいったら2人におごるよ」
水元 「そうこなくっちゃ!私もお手伝いしますよ!」
そういうと椎名の原稿を基に、手際よく坂口がプレゼン資料を作成していった。基の内容が比較的似たものだったため修正も少なく済み、見栄えの良いものができた。もちろん、キャンプのイメージを出すための写真が必要だったのだが、水元がインターネットのサイトから著作権フリーの写真を入手してきた。アウトドア派の水元はその手の情報には詳しかった。
次の週、椎名と坂口はノートパソコンとモバイルプロジェクターを持って、「ジャスト」に乗り込んでいった。初めは使いにくそうにしていた椎名も徐々に慣れて、キャンプ用品とバーベキューのクロスセリングについてのプレゼンを終えた。一通りの説明が終了すると、ジャストの唐沢主任は画面に広がるイメージに見入っていた。
唐沢 「いいですね、これは。特に食品部門だけでなく、キャンプ用品部門との相乗効果もありそうだ。こういった提案は、なかなか社内の部門からは出てこないんだよ。2つの売り場の関係はどうするの?」
椎名 「はい、お互いの売り場に誘導POPを置いて、相互の売り上げに貢献できるようにしたいと思っています」
唐沢 「それはいい……。実はうちの店以外も3店舗共同でこの企画をやろうと思うんだけど、対応は可能かい?」
椎名 「ありがとうございます! ぜひ対応させていただきます!」
唐沢 「結構な数を用意してもらうことになるから頼むよ。もちろん、そちらの新製品中心でいいからね」
椎名と坂口は固く手を握り、プレゼンの成功を実感した。
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