人生の多くの時間を、私たちは“仕事”に費やしています。でも、自分と異なる業界で働く人がどんな仕事をしているかは意外と知らないもの。「あなたの隣のプロフェッショナル」では、さまざまな仕事を取り上げ、その道で活躍中のプロフェッショナルに登場していただきます。日々、現場でどのように発想し、どう仕事に取り組んでいるのか。どんな試行錯誤を経て今に至っているのか――“プロの仕事”にロングインタビューで迫ります。インタビュアーは、「あの人に逢いたい!」に続き、戦略経営に詳しい嶋田淑之氏。本連載では、知っているようで知らない、さまざまな仕事を取り上げていきます。
イノベーティブなマインドをもった若きリーダーたちを育成することに情熱を燃やす藤沢烈さん(33歳)。インタビュー前編では、その仕事ぶりやライフスタイルの一端をご紹介した。後編となる今回は、彼のこれまでの人生行路と、これからの方向性について伺ってみようと思う。
藤沢さんは、1975年、京都に生まれた。さそり座のA型。母親が呉服店を経営し、兄と弟の3人兄弟。その後千葉県に転居し、中学・高校は、東京の私立名門進学校である開成学園に通った。「小6の時にNHKの『地球大紀行』という番組を見て以来、地球物理学者になりたくてですね(笑)、それで開成時代も、地質部に所属していたんですよ」
しかし、藤沢さんはコンプレックスに悩まされたという。「周りには、芸術とか学問とか、いろいろな分野に優れた友人が大勢いて、これといった取り柄のない自分にコンプレックスを感じていました。でも、あることがきっかけになって、それは解消され、自分自身の人生の方向性も大きく変わることになったんです」
“きっかけ”とは、あるミニコミの創刊だった。「そういうすごい友人たちの意見をまとめたミニコミ誌を創刊してみたんです。そうしたら、みんなとても喜んでくれまして……。それで初めて、他の誰でもない自分だけの居場所というか、自分のオンリーワンが見つかった気分になったんです」
それは、雑誌という形で、人と人とが出会う場を提供する、ということ?「その通りです。それで『地球物理学者になってノーベル賞を目指すのも面白いけど、人間や社会も面白い』と感じ、高校3年の秋に急きょ文転し、1994年に一橋大学社会学部へ進学しました」
開成時代に目覚めたメディアの魅力。彼は、一橋大学で「アドレス」という雑誌を創刊する。
「全国各地の、様々な分野で活躍する、いわば同世代のヒーローを取り上げる雑誌です。これは大きく盛り上がりまして、発行部数が数千部単位になりました。私は、そうしたヒーローと出会うために、それこそ日本中を飛び回ったんです」
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