淘汰されないために! ”Must”と”Nice to have”の違いちきりんの“社会派”で行こう!(1/3 ページ)

» 2010年07月19日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん(Twitter:@InsideCHIKIRIN)。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2008年10月9日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 今回は「“Must”=“なくてはならないもの”」と「“Nice to have”=“あるとうれしいもの”」の違いについて考えてみましょう。

 ちきりんがこの違いを強く意識したのは、2008年にこんにゃくゼリーの最大手、マンナンライフの「蒟蒻畑」カップサイズがいったん製造中止に追い込まれた時でした(参照リンク)。当時は幼児がのどに詰まらせて事故死したことがマスコミで大きく報じられ、政治問題化さえしていたので、メーカー側も緊急避難的に製造を停止したのでしょう。

 この件に関して、当時ネットでは「危ないか、危なくないか」という議論が起こりましたが、ちきりんはこの問題において、“危険度”が大事な論点とは思えませんでした。こんにゃくゼリーが製造中止に追い込まれた理由は、「危ないからではなく、たいして必然性がないと判断されたからだ」と思ったからです。

 のどに詰まって人が死ぬ代表的な食べ物といえばもちです。正月に高齢者の事故が多いですよね。実験できないので調査も難しいでしょうが、「こんにゃくゼリーより、もちの方が危ない」という結果になる可能性は十分あると思います。しかし、「のどに詰まって死ぬ人がいるから」という理由で、日本でもちが販売中止になることはちょっと考えられません。

 なぜなら「もちはお正月に不可欠」と考えられているからです。毎年毎年、もちをのどに詰まらせて死ぬ人がいても、誰も“餅の製造中止”などという話は持ち出さないのに、こんにゃくゼリーが製造中止に追い込まれたのは、危ないからではなく、「いらないから」もしくは「いらないと判断されたからだ」と思うのです。これが“Must”商品と“Nice to have”商品の違いです。

 こんにゃくゼリーの最大の消費機会は「子どものおやつ需要」(自宅のほか、保育園や幼稚園も含む)と「ダイエット中の人のための甘味」だと思いますが、どちらも代替物はたくさんあります。“存在の絶対的な必要性”が弱いものは、それによって死亡事故が起きると、社会から抹殺されかねないほどの騒ぎになる、ということなのです。

 一方で年に数千人が交通事故で死んでいても“自動車の製造中止”などという議論にはならないし、タバコもいくら健康被害が報道されても愛煙家の強烈な支持があり、また税収を捨てられないこともあって、どの国でも販売中止になりません。実験的とも言えるレベルの先端医療も時に許されます。

 また、タバコの例で分かるように、存在意義は必ずしも社会的な“善”である必要も、支持者がすごく多い必要もありません。少数でも熱烈に「自分たちにはこれは“Must”」「コレがなくては生きていけない」と思ってくれる人がいる商品はしぶとく生き残ることができます。

 事件の際、こんにゃくゼリーの擁護派から聞こえてくる主張の大半が「危なくない」という主張であり、「こんにゃくゼリーがなくなるとこんなに困る!」という話ではなかったことが、この商品が製造中止に追い込まれてしまったこととつながっていると思うのです。

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