「スーパーはくと」と「のぞみ」の違いとは?――“画一性”の醜さちきりんの“社会派”で行こう!(2/3 ページ)

» 2010年12月27日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

画一的であった方がもうかる

 しかし、反対にこうも思いました。「でも、顧客が画一的であった方が、きっともうかるんだな」と。これ実はたいていのビジネスにおいて、そうなのだと思います。

 “画一的”ということは“効率がいい”ということなのです。画一的な人たちは同じようなものを求めます。だから同じサービスでみんなが満足する。のぞみへのニーズは「速く、頻繁に走らせてほしい」だけです。後はせいぜい「車内でネットが使いたい」くらいでしょう。ビジネスマンのニーズが画一的なので、供給側もそこに特化すればよい。こういうビジネスはとても効率が良いです。

 一方、いろんな客がいるとコストがかかる。「遅くてもいいから値段が安い方がいい」とか「景色が見たいから窓を大きく」とか。「みんなでお弁当が食べられるよう、座席が回転するように」とか言い出すと、維持にもマーケティングにもコストがかかる。もうかりにくくなるのです。

 でも、スーパーはくとに乗った時、その心地よさから、瞬間的にいつも乗っているのぞみを思い出して気が付きました。「画一的なモノってすごい醜いんだ」「気持ち悪いんだ」と。

 本来いろいろ違っているべき人間が、同じ商品のように扱われているような気になってしまった。昔の軍隊を前線に運ぶ列車などと同様に(実際に見たことはないですが)、東京〜新大阪間の新幹線に乗っていると「仕事場に搬入されるサラリーマン」という感じがします。スーパーはくとの車内では「日本って豊かな国なんだ」という感じが漂っていてすごくリラックスできるのに、のぞみでは「日本は大変な国だ」という印象になる。

新幹線のぞみ N700系(出典:JRおでかけネット)

 「似たような人を引きつける」のはもうけるための基本なのでしょうが、最近は「同じような客しかいない場所」を「気持ち悪っ」と感じるようになりました。雑誌から抜け出してきたようなおしゃれな人だけが集まるバーも、反対に生活に疲れた人ばっかりの一杯飲み屋も、どっちも不気味です。

 郊外型ショッピングモールやアウトレットモールも、どこに行っても同じ雰囲気です。これは米国でも同じで、モールがどこも酷似しているだけでなく、ブランド店が並ぶ大都市のメインストリートも、どこにいっても「同じ店しかない」状態になっています。

 日本でも1980年代まで「日本中どこに行っても同じ」街作りがなされていたと思います。仙台にも盛岡にも札幌にも「“プチ東京”を作りましょう」という感じでした。ビジネスを追求すると、「同じテンプレートで大量に処理する」という方向にどんどん進んでしまいがちです。そして、何だかまったく安らげない気持ち悪い街やら電車やら店やらができあがる。

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