何度も言う。記者クラブを解放せよ!相場英雄の時事日想(2/3 ページ)

» 2011年01月27日 08時00分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

 当時は企業の公式Webサイトは整備されておらず、記者クラブの資料が一番速かった時代だ。企業財務情報の速報を第一義に考えたブルームバーグが、記者クラブのボックス前で資料を奪い取るようにしたことがトラブルの根源だった。

 冒頭のトラブルのあと、兜倶楽部側が総会を経てブルームバーグに通達した文書は以下のような内容だ(引用は同著より筆者抜粋)。

 「最近、記者が中間決算の発表資料をボックス投函前に倶楽部内で入手し、混乱が生じています。(中略)貴社が今後、当倶楽部の秩序を乱すようなことがあれば、オブザーバー資格そのものを取り消す可能性があることを……」。

 懸命な読者なら筆者の意図を感じ取っていただけたはず。参入を果たそうとする当時のブルームバーグのスタッフを、現在のフリージャーナリストに置き換えてみると分かりやすい。

 兜倶楽部とブルームバーグ、その他外資系メディアの攻防、記者クラブ開放に至るプロセスは同著に譲るとして、筆者が感じた昨今の「記者クラブVS. フリー」のトラブルは、既に20年近く前に日本のメディア界が経験したことなのだ。

 昨年末より、霞が関、あるいは永田町の一部の記者クラブで、フリーのジャーナリストがUstreamで会見の中継を始め、記者クラブの幹事社と揉め、先のブルームバーグのような張り紙をされた。当事者には申し訳ないが、筆者が抱いた率直な感想は「いまだにそんなトラブルがあるのか」だった。

規約を改正すべし

 昨年の当コラムで、筆者は経済系の記者クラブがなし崩し的にその存在意義を失った経緯を綴った(関連記事)。しつこいとお叱りを受けるかもしれないが、霞が関、あるいは永田町の記者クラブはさっさと門戸を解放すべきだと筆者は考える。主要メディアの政治部が仕切るこれら一部の“村のしきたり”は、日本のメディア界全体の閉鎖性とは同質ではないことを本稿の読者にはご理解いただきたい。

 1990年代初頭のブルームバーグ社のように、記者クラブそのものへの加盟を求めているフリー組は少ないはず。会見への参加、あるいは質問を許可する程度のことをなぜ解禁できないのか、筆者は首を傾げる。大手メディアの経営陣の中には、かつて外資参入をめぐり、記者クラブの規約改定作業に汗をかいた人材が残っているはずだ。社内、あるいは“村社会”の中でも解決の糸口はいくらでも見つかる。

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