みんなちがって、みんないい――画一性の呪縛から抜け出せちきりんの“社会派”で行こう!(2/3 ページ)

» 2011年09月05日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

画一性のデメリット

 ただ、この「揃っているものがいい」という感覚は工業製品を作る際には役立つのですが、こと生物的なものに適用されるとややこしいです。「生き物にも“揃う”ことを要求する」デメリットをまとめると……。

(1)他者と同じでない人を抑圧したり排除してしまう。

 本来、人間は多様なものです。同じ民族でも誰一人として同じではありません。なのに強く画一性を求められると、「個性の抑制」が必要になります。そしてそれができない人を「集団から排除する」動きも出てきます。

 人間はモノじゃないし、生物は機械じゃありません。なのに「見かけ上の言動が揃っていること」を要求するから、身体的な特徴でいじめたり、障害のある人を別の場所に隔離しようとする。「同じように行動し、感じ、発言しない人」を集団が排除して追い詰めてしまいます。

 キャリアパスも同じです。高校に行って大学に行って働いて、途中で自己研鑽のためにちょこっと留学して、結婚して子ども産んで、みたいな“標準的な生き方”に沿っている人を“まともな人”と呼びます。多様な生き方を認めないのも“揃っている”ことの偏重でしょう。

 「周りと同じでなければならない」という呪縛をかけられるのは、個性的な人にとっては生きづらい環境であり、そのせいで病気になったり日本を出てしまう人も多いんじゃないかと思います(他国で楽しいならそれはそれでいいと思いますが)。

(2)付加価値の高い独自性のあるものが出てこない。

 日本が未来永劫「同じモノを大量に、同じクオリティで作って輸出する」という産業でやっていくというならいいのですが、それってもう無理ですよね。そういうのはより人件費の安い国でできるんです。

 付加価値の高い仕事は「ユニークさ」、すなわち「ほかの人が発想しないことを考え付く」ということにその源泉があるのです。それなのに「出る杭は打たれる」などということわざが支配する世界で人材を育てていては勝ち目がありません。

 特に世界で競争している企業は、このことをもっと真剣に考えた方がいいと思います。企業はどこも「ユニークで斬新な商品や事業を開発したい」と思っているはずです。だったら新卒一律採用なんて即刻辞めるべきです。「ほかの会社にはない、独自の視点で何かを開発したい!」と思うなら、いろんな業界でいろんな経験をしてきた人を雇うべきだと思いませんか?

 毎年似たような大学から一斉に人を雇って、何十年も外の経験をさせずに、ずっと同じ会社、同じ環境の中で育てておいて、「ほかと違う発想をしてほしい。既成概念にとらわれない発想で開発してほしい」なんて言うのは、完全に矛盾しています。

 学校の制服も同じです。18歳まで制服なんて着せていたら、ファッションセンスも個性も殺されてしまいます。そういう分野に才能のある子どもの可能性を奪っているとも言えるでしょう。

(3)「揃える」ための無駄なコストが生じている。

 不揃いの野菜は加工用に安値でしか売れなかったり、時には廃棄されることもあります。また、さくらんぼやイチゴを同じ方向に並べて詰める手間は価格に含まれていますから、その分高くなっています。

 多くの有能なビジネスパーソンの仕事時間が、「資料の体裁をきれいに揃える」という(とても付加価値の低い仕事)に使われてもいるのも無駄です。

 ちきりんの記憶では、昔は日本のATMでお札を引き出すとお札の向きが揃って出てきていました。最近はどこでも、上下、裏表がバラバラに出てきます。あれも昔は、お札の向きを揃えるために無駄な工程が(もちろんコストも)かかっていたはずです。

 さすがに銀行も最近はそんなアホみたいなところにコストを掛けられなくなったのだと思いますが、今でもIT開発費の何割かは「実質的な意味はないけど、きれいに揃えて見せる」ことに使われてるのではないでしょうか?

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