福島の前知事が、原子力“先進国”の内情を語る(2/3 ページ)

» 2011年09月27日 08時00分 公開
[産経新聞]

 昭和64年1月6日。時代が平成へと変わる2日前のこと。福島第2原発3号機で警報が鳴り、原子炉が手動停止された。

 一報は現地から東電本店を通じ、通商産業省(現経済産業省)、県へと伝わった。だが、東京電力の思考には、地元の富岡、楢葉両町への伝達優先という発想はなかった。

 地元の不信感を煽る事態は続く。部品が外れて原子炉内に三十数キログラムもの金属片が流入、4回の警報が鳴っていたにもかかわらず、運転を継続していたことが後に判明した。

 県庁に陳謝に訪れた東電幹部が放った言葉がこれだ。「安全性が確認されれば、(部品が)発見されなくても運転再開はあり得る」

 「『安全は二の次なのか』と思った」。佐藤は、当時の東電とのやり取りを今でも忘れない。

 佐藤が原子力発電に感じた違和感は他にもあった。それは原発立地のメリットである「カネ」をめぐる違和感だった。

 福島第1原発の事故は、日本の原子力の「安全神話」を終わらせた。しかし、日本の将来を見据えると「神話の終焉」を「原発の終焉」にすることは許されない。その神話を支えてきた産学官一体の「原子力ムラ」。ここにメスを入れない限り強固な安全構築はあり得ない。原子力ムラの独特の構造とその掟に迫る。

 福島第1原発がある双葉町、大熊町。双葉町の商店街の入り口には「原子力 明るい未来の エネルギー」と書かれた看板が掲げられている。原発誘致に積極的だった事故前の地域の雰囲気を象徴する光景だ。

 双葉町議会が平成3年9月、7、8号機の増設要望を議決した。《当初の誘致から10数年で、経済のみならず教育、文化、医療、交通、産業、全ての面で大きく飛躍発展を遂げた》。決議文は原発の恩恵に言及し、こう続く。《しかし、厳しい財政となって……。よって増設を望むところであります》

 地元自治体にとって、莫大(ばくだい)な税収をもたらす原発施設の固定資産税。だが、施設の減価償却が計算されることで年々減額され、先細りする。

 窮した自治体が、さらに増設を求める――。大熊町町長の渡辺利綱(64)は「原発の安全神話を過信してしまった。『安全だ』と言われれば信じるしかないようにされてきた」と悔いる。

 当時、福島県知事だった佐藤栄佐久(72)にも自らも含め地元が、原子力ムラの掟にからめ取られていくのが分かった。

 だが、「地元には2、3家族に1人は原発関係者がいる」と佐藤。知事としてのポストを支えている一角が、原発関係者という現実がある。

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