不完全エスパー―ゆきかぜの日曜日―「誠 ビジネスショートショート大賞」清田いちる&渡辺聡賞受賞作続編(2/3 ページ)

» 2012年11月19日 15時00分 公開
[鈴木ユキト,Business Media 誠]

 おうちの中に響くけたたましい警報で私は目を覚ました。

 え? なに?

 私は、自分の部屋の真ん中に倒れるように寝ていた。どうしたんだろう。いや、そんなことはいい。空気が焦げ臭い。

 ……榊さん!

 私は跳ね起きた。身体からなにかばらばら落ちたけど無視。空気が少し熱い。小さなマンションの数メートルもない廊下を跳び走った先のお台所に、榊が居た。後姿の向こう、ガスレンジの上でケトルと近くにあった鍋つかみが燃えて、レンジ台の近くに置いてあるジャムの瓶のようなものも真っ黒になっていた。タイルの壁は真っ黒になって炎に禍々しく照らされている。警報が鳴りやまない。

 「逃げて!」

 私が盾になるから、榊さんは逃げて! 早く!

 榊の肩をつかんで引いた。でも榊はそれを体の動きだけで振り払って、落ち着いて両手を前に出し、炎の前で軽く動かしてから手のひらを炎に向け、小さく「しゅっ」と息を吐いた。

 一瞬で、炎は消えた。

 さっきまで熱かった空気は、急に冷気になった。

 普通の消え方ではなかった。まるで熱を一気に別の世界に追いやったような。

 手を下して榊が言った。私に背を向けたままで。

 「ゆきかぜ、警備会社に電話して。お台所で油に引火しただけでもう消えてるって」

 「は、はい」

 今になって、恐怖がやってきた。焦げるようなにおいは消えていない。しゃがみこみそうになる体を壁で支えながら居間にいって、震える声で電話した。警報も消えた。榊は部屋の窓を全開にした。


 榊は、私に平謝りした。

 「……すまん、たぶん俺がお茶いれようと思ってやかんをガスコンロにかけて」

 「コンロにかけて、どうしたんですか?」

 「二度寝したんだと思う」

 「榊さん!」

 もう、どうしてやろうか! 前からあのコンロは調子悪かったし、なにか安全装置が故障していたのかもしれない。でも、火にかけて二度寝なんてあり得ない!

 榊はいつもよりちょっと大げさなくらいに謝って、とにかくお台所の掃除とか家事は全部やってもらうことにした。あたりまえだ。当然だ。しばらくすると、榊は焼いてないパンと有り合わせの野菜サラダ、電子レンジでチンした牛乳をお盆に載せてうやうやしく居間にいる私に持ってきた。私は、ほんとはそんなに怒ってないですとひっそり伝えたくて、「くるしゅうない」といった。

 榊が買ってきていたのか、おいしいパンだった。そうだ、なにより榊が無事で、よかった。

 思えば、ガスコンロの不調で安全装置が働かなくて少し火を出しただけだ。榊が二度寝してしまったのも、夕べ、彼がうなされていたのを私が気付けなかったからかもしれない。そう思うと、榊が気の毒になってきた。

 榊は私の部屋の掃除機までかけてくれた。今日の家事は午前中でほとんど終わって、榊が言った。

 「ゆきかぜ、……ガスコンロ、買いに行かないか」

 榊とお出かけだ。気持ちが飛び上がるくらいにうれしい。なんだか今日の私は、今朝のボヤがあったからか、いつもよりもっともっと、もっと榊が大好きだ。大好きすぎて、なんだかその頬に唐突にキスしたいくらい。だから、こう言った。

 「もう! 急な出費だけど、仕方ないから一緒にお出かけしてあげます!」

 私は着替えに自分の部屋に入った。

 なぜだか、私の部屋は少しコーヒーみたいな香りがした。

 きっと、さっきのボヤのにおいが薄くなったからとかだろう。


 新宿の、大きな電気屋さんの上の階に行った。

 測っていった大きさとガスの種類を伝えたら店員さんはてきぱきとお薦めを教えてくれて、榊とよく話して決めた。お魚をひっくりかえさなくても両面綺麗にやけるやつ。実はこっそり欲しかったから、榊には悪いけどうれしかった。明後日の夜には取り付けにきてくれる。

 そのフロアからエスカレーターで下に降りるとき、榊は少し唐突に言った。

 「……ゆきかぜ、デジカメ、買おうよ」

 「え? 携帯にもカメラついてます。それにあんまり使わないし」

 「そうか?」

 「なんか変です。どうしたんですか?」

 榊は、ちょっと肩をすくめてから、私への殺し文句を言った。

 「俺が欲しいというか、ゆきかぜに持っていてほしいから、だな」

 私は、榊が私のことを思ってくれているだけでうれしくてたまらない。一緒に1階の

カメラ売場に行った。

 榊は、大きく真っ黒なカメラを持って「ほら、ご覧」とうれしそうに話した。

 「このカメラ、よく目立つここにマイクが入ってますよって教えるみたいな穴がいっぱいあいてるだろ? これは意図的にやってる。この一眼レフは『新しいなにか』なんだってアイコンを仕込んだんだね。メッセージだよ」

 「人の感覚はそれなりに正確だけど、だまし方もある。例えば、ほら、ここのとこ、丸くカドを取ってるだろ? こうすると人の感覚は本来の厚みよりも『薄い』と認識するんだ。……人の、知恵の結晶だよ」

 榊は、マヤで仕事としては商品企画を担当していた。私は榊のこういう話も大好きだ。

 彼は、本物の超能力者だ。でも、人の知恵や工夫に心から尊敬と愛情を持っている。私が嫉妬するくらい。

 結局選んだのはピンク色の、ころんとした小さくてかわいいデジカメ。マヤ製。最初に撮ったのは、榊と私の二人の写真。その場で試しに撮ってみた。私の宝物が、また一つ増えた。

 内心、本当にうれしかった。いっぱい撮っていこう。榊の写真を持ち歩くのもいいかも。そんなことも思った。


 もう日が暮れようとしていた。駅に戻る途中で榊がまた「したいこと」を言った。なんだか今日の榊は少し饒舌だ。

 新宿にせっかく来たのだから、私たちがとてもお世話になって、今でも大切に思っているホームレスのみんなのところに行くことにした。新宿駅から歩いて10分くらいの公園にみんな寝泊まりしている。

 途中のディスカウントショップで差し入れを買い込んで、みんなのところに行った。

 公園に近づくと皆が、榊ちゃん、ゆきかぜちゃん、と歓迎してくれた。独特のにおいがするけど、私には安らぐ気持ちすら与えてくれる。

 一番大きな青いテントに「トクさん」がいた。みんなのリーダー格のおじさんだ。榊より年上、古市さんより年下くらい。ひげだらけの顔に知的な眼。私たちに気づくと、顔をくしゃくしゃにした笑顔としゃがれた声で「おぉ」と手を挙げた。

 私たちは差し入れを渡した。トクさんは同じテントの仲間に言って、みんなでそれを分けるようにしてくれた。

 人がどんどん集まってきた。皆もとっておきのごちそうを持ってきた。宴会が始まった。偶然、途中で古市さんも来た。なにかのパーティーの帰りとかで、余ったお料理をいっぱい持ってきていた。古市さんは「お、ゆきかぜちゃん、また会ったね。うれしいよ」と言った。私もうれしかった。買ったばかりのカメラで、みんなと私たちをいっぱい撮った。ちょっと恥ずかしそうだったり、うつりたがらないひともいたけど多くは一緒に写ってくれた。うれしかった。

 私と榊は途中で何回か買い出しに行って、最後の1回は「もう私も子どもじゃないんですから!」と、私一人で行った。

 別に怖くなかった。いざとなったら空手で撃退してやるし、それに、ここは私が3歳のころからしばらく榊と住んでいた場所だもの。

 そうして、夜10時ごろ私と榊は帰ることにした。名残惜しかったけど、明日学校があるし、予習もしてなかったから仕方なく帰った。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.