ビジネスパーソンに求められる“キレ”と“コク”の思考(3/4 ページ)

» 2012年11月30日 08時00分 公開
[村山昇,INSIGHT NOW!]
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鋭く明瞭に考え×豊かにあいまいさをもって考えよ

 私たちは誰しも、運動量に差こそあれ、ときに「キレ」でもって科学者のように考え、ときに「コク」をもって芸術家のように考える。

 例えば俳句を詠もうとするとき、詠み人はまず目の前にしている自然を細々と観察する。雲の動きがどうなっているか、風がどう吹いているか。何の植物があり、どんな色の花を咲かせているか。それは言ってみれば、自然を個別に具象的に観ていき、句の材料になるものが何かないかを鋭敏に探している姿勢である。そこでは「キレの思考」をしているわけだ。

 と、次の刹那に詠み人は、今ここにある自然の本質的な存在要素は何であるか、自分は何をモチーフとして描くか、といったものを抽出する。それは「コクの思考」である。そこはあいまいさという霧のなかであり、直観というサーチライトで“何か”をつかみにいく作業となる。……そして彼は、蛙(カエル)や蝉(セミ)といったモチーフに出合う。

 すると今度は瞬時に頭が切り替わって、「五・七・五」という言葉の成形に入る。どんな語彙(ごい)、どんな構成、どんな韻が効果的であるか、客観的、論理的に考える。ここは、自身が感受したものをいかに「キレ」よく、文字というナイフを使って表現できるか、の思考になる。

 しかし、次に彼はそこを超え、あえて「キレ」を隠そうとする。静けさを表すのに、あからさまに「静かだ」と言ってしまわない。あるいは、静けさを、音のにぎやかさから逆説的に伝えようとする。明瞭ではなく、あえて不明瞭に。鮮明に切り落とすのではなく、じんわりとにじませるように。なぜなら彼は、「コクの思考」の住人だからだ。ご存じ、俳人・松尾芭蕉の名句──。

 古池や 蛙飛びこむ 水の音

 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

 この2句は「キレ」と「コク」の2つの思考を高速かつ大きく往復したことによって生まれた。このことは、俳句のような表現作品であれ、科学的な分析論文であれ、あるいはビジネス戦略であれ、同じである。両思考のダイナミズムがアウトプットのできばえを左右するのである。

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