イラストレーター・もんちほしの誕生(前編):郷好文の“うふふ”マーケティング(2/2 ページ)
あるイラストにひと目ぼれした。たった1つの画像、大正時代の浪漫が香る、着物を着崩したつややかな二次元の美女をひと目見て、筆者は恋に落ちた……。
太陽の塔と巨大バッタ
「では大学に入って本格的に絵を描くことを始めたんですか?」
「いえ実は描くことをやめました」
「なぜ?」
「それが……恋をしたんです。恋をしたら自分の描いてきた絵が、幼く見えて恥ずかしくて」
内気だが絵がうまく、稼いだお金で500円貯金をしていた少女は、大学に入り恋をした。恋で舞い上がり、ふと地上に目を落とすと自分の絵が見えた。幼い絵を描く自分と決別したいと思った。しかも大学では心理学やPCの授業ばかりで絵から遠かった。満たされない想いはあったが、描かない2年が過ぎた。恋も大学も彼女からイラストを遠ざけたが、それは再び絵筆やマウスを取り上げるまでの“孵化期間”だった。
「再開したきっかけは?」
「巨大バッタのせいなんです!」
2002年2月、大阪の万博記念公園に巨大バッタが現れた。神戸出身の現代アーティスト椿昇氏が制作した、体長50メートル、高さ15メートルの軍事用の布地で作られたアート。太陽の塔に立ち向かうかのように展示された。巨大バッタの展示を見て衝撃を受けてからほどなく、バッタの制作者、椿氏が助教授(当時)として大学に舞い降りてきた。2002年の4月のことだ。
「あのバッタの人だ!」もんちほしさんは椿氏と出会い、ゼミにもぐりこみ、“人をワクワクさせる現代アーティストの力”に心酔した。椿氏はこう言った。「もんちはイラレ(アドビの「Illustrator」のこと)で絵を描け! Macを買え!」
「しかもそれが夏の話で、Macは冬のボーナス払いで買って、企画書を書いて企業に作品を売り、冬までに投資を回収せよ! とか言うんですよ」彼女は笑う。
破天荒な助教授に言われるまま、30万円のiMacとアドビに投資をした。冬に回収することはできなかったが、生来の貯金好きなのが幸いした。再び絵描き心に火が点いた。描くことをやめてからのブランクがあったにも関わらず、ぐんぐんうまくなった。ゼミで絵の経験があったのが彼女だけだったのも、指導を得る上では幸いしただろう。
恋がもんちほしを孵化させた
年が明けて2003年1月。ゼミ仲間と初めての展示会を開き、その後も絵本のイラスト、シャッターアートなどを描き続けた。2004年1月の卒業制作では、7作品で個展『いろはかをる』を開いた。この時期の代表作が『昇桜(のぼりざくら)』である。
『昇桜』で寝転ぶ女の目は、遠くを散る桜や空を見つめ、蝶を追う。ゆったりと日差しを浴びてくつろぐ。牧歌的な女性像がある。その後の作品のモチーフである“情念”や“哀感”がまだない。“気持ちのよい日”をうたう説明文にも、心を揺さぶるようなことばがない。なぜなら“安定飛行の恋”の中の作品だからだ。卒業後まで続いた静かな恋がこの作品に広がる。
だがその後、ある男性を激しく好きになった。そして、安定飛行から真っ逆さまに落下した。
「その人を追いかけて、大阪から東京に出てきました」
そう語る彼女の目に静かなパッションを感じた。だが関西弁に疎い私は、このあたりのイントネーションの機微をうまく伝えられないのがもどかしい。小鳥のさえずりのような軽やかな関西弁で話すのだが、公務員の家庭に育った。きっと多くの衝突や悩みがあっただろう。
新しい恋はもんちほしさんを東京に走らせ、その作風を変え、プロフェッショナルな“イラストレーターもんちほし”を孵化させた(後編に続く)。
→イラストレーター・もんちほしの誕生(前編・本記事)
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