日本人が“やめられない”理由:ちきりんの“社会派”で行こう!(3/3 ページ)
日本人はビジネスにおいても、プライベートにおいても、一度始めたことをなかなか“やめられず”、しばしば不幸な結果を招いている、と主張するちきりんさん。なぜ日本人は引き際のタイミングが悪いのか、考えてみた。
(2)やめることを問題視する道徳観
大半の学生は就職の時、ほとんど意味のない理由で会社を選びます。「会った人がすばらしい人だった」みたいな理由です。そんな適当な理由で入った会社でも、辞めるとなるとやたらと悩むのが不思議です。
「こんなに早く辞めたくなるなんて、自分の頑張りが足りないのではないか?」と考える人までいます。でも本当は「生まれて初めて選んだ仕事が、自分の人生を賭けたい仕事であった」などという“運命の出会い”は起こらないのが普通です。
年齢や経験に応じて仕事を変えながら、「これだ!」と思える仕事にめぐり会えばいいのです。いくつか経験することで、だんだんと自分のことも、やりたいことも分かってくるのですから。
しかし、日本には「たとえ適当に始めたことでも、簡単に辞めてはいけない!」という道徳観があります。周囲もやたらと「速断すべきでない」というプレッシャーをかけます。「やめること」は「逃げ」とか「根性がない」とか言われ、「続けることに、やめることより高い道徳的価値を置く」のです。
(3)“終わり”に情緒的な意味を持たせる
「有終の美」「散り際の美学」というような言葉が象徴していると思うのですが、日本には「終わりに美しさを求める」傾向があります。この“美しい”という概念がまた意味深なのですが、だいたいのところでは「たとえ負けても、やせ我慢する」ことを“美”ととらえているようです。
これが日本文化だというなら、それはそれでいいのです。しかし、経済や経営、投資などの分野には、これはまったく向かない考えです。
「Exit戦略」という言葉があるように、欧米の企業にとって終わり方は「戦略」なのです。「ここぞ」というタイミングで「これしかない」という終わり方を、積極的かつ主体的に選ぶ。そのため常に「どう終わるべきか」を考えています。
それは一定の基準にそって、きちんと決断される「ビジネスとしての終わり方」であって、美しくて郷愁にあふれた映画のエンディングとは異なります。一方、日本人の多くにとって“最後”とは特別な“涙と感傷の幕引き”であって、そこに「美」の概念さえ求められます。
しかし、そうやって「美しい終わり方を求めて、合理的な撤退の判断を避けに避けたあげく、仕方なく1つだけ残った選択肢を選ぶ終わり方」は本当に美しいものでしょうか? 主体的に終わりを選ばないことで、結局は“無念な敗退”を迫られているとは言えないでしょうか?
この「終わり」に合理的な意味以外の何か、「非経済的な、精神的な重要性」を求める考え方は、とにもかくにも「ビジネス」の世界にはまったく合わないと思います。
そんじゃーね。
著者プロフィール:ちきりん
関西出身。バブル最盛期に金融機関で働く。その後、米国の大学院への留学を経て現在は外資系企業に勤務。崩壊前のソビエト連邦などを含め、これまでに約50カ国を旅している。2005年春から“おちゃらけ社会派”と称してブログを開始。
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