くう、ねる、そして――自然写真家、糞土師 伊沢正名さん:あなたの隣のプロフェッショナル(6/7 ページ)
今回のインタビューのテーマは「真面目な排せつ物の話」。食事中の方、排せつについての話題に抵抗がある方は決してこの続きを読まないでいただきたい。了承してくださった方だけ、さあ本文へ。
これからのキーワードは「分解」と「責任」
伊沢さんは、糞土師活動を通じて、日本社会や日本人のライフスタイルがどのように変わってほしいと願っているのだろうか? 多くの人にとって、明日から野糞を実践するのは現実的ではないし、それを伊沢さん自身が望んでいるとも思わない。
「排せつ物とか病気とか死というものを、“穢れ(けがれ)”として、人の目につかないところへと追いやっているのが現代の人間です。そして、過剰なまでの清潔志向&利便性志向によって、人間は、自然界に生きる生物としての生命力を失ってしまいました。現代病と呼ばれるものの多くは、そうした生命力の衰微の結果、生まれたものといえます。私は、長期的には、人間が本来有していた生命力を回復させたいと思っています。そこに向けて、まずは、次の諸点について、皆さんに“気づき”を得てほしいのです。
- 食べるという行為は、他の生物の命を奪う行為であること。だからこそ、命をいただくことの意味を理解し、食べ物は残さないようにしてほしい
- トイレを使用するという行為は、(本来であれば自然界に還すべき)排せつ物を、人間の都合によって最終的に焼却処分してしまうことである。トイレットペーパーを作るために破壊される自然、排せつ物を流すために使われる大量の水資源、排せつ物を焼却するための化石燃料、そこで放出される二酸化炭素。そういうことを日々意識し、せめて使用するトイレットペーパーや流す水を節約してほしい
- 郊外に出るときは、「排せつ物を自然界に還すことが生き物としての人間の責任」ということを思い出し、状況的に可能なら、野糞にも挑戦してみてほしい
- 都市生活の清潔さ・利便性だけを追求するのではなく、自然界に寄り添って生きるという世界観・人生観をもってほしい」
そして、伊沢さんは、こう言い切った。「これからの環境問題のキーワードは、『分解』と、『責任』だと思いますよ」
そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。そのとき、私はふと思った。これまでの漁業の常識を一変させたと言われる「森は海の恋人」というコンセプトもまた、こうしたキーワードから生まれたのかもしれないと。
森と海と「分解」
今年(2010年)の春、私は都内で行われた気仙沼の漁師・畠山重篤さん(1943年〜、現在・京都大学フィールド科学教育研究センター社会連携教授)のセミナーに出席させていただいた。畠山教授は県立気仙沼水産高校を卒業後、地元で牡蠣の養殖に携わっていたが、日本近海の漁業の不振、磯焼けなどの問題の原因を調べるうちに、あることに気づく。
それは、海に流れ込む川の流域の雑木林の土壌から流出する栄養成分によって、海が豊穣になり得るのだということだった。雑木林の土中の“分解”作用こそが、鍵を握っているということだ。しかし日本では、雑木林の多くが宅地造成で失われ、あるいは、杉やヒノキといった有用林に転換されたあげく、放置され荒廃してしまった。そのため、海は本来の力を失ってしまったのだ。
この事実に気がついた教授は、雑木林を復活させるべく植林活動を展開し、現在に至っている。「森は海の恋人」という有名なキャッチフレーズは、ここから生まれたものだ。
そして、同教授はこうも言う。「森に木を植えることは、人の心に木を植えることと同じ。環境問題は、結局は、個人の生き方の問題」だと。※
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