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記者クラブを閉ざしてきた、大手メディアの罪と罰烏賀陽弘道×窪田順生の“残念な新聞”(6)(1/4 ページ)

ここ数年、日本のメディアが“記者クラブ問題”に揺れている。フリーライターなどが開放を訴えても、なぜか大手メディアは拒み続ける。その背景には一体どんな問題が潜んでいるのだろうか。

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 日本のメディアが“記者クラブ問題”に揺れている。フリーライターが中心になり、「記者クラブを開放せよ」と訴えても、政府はなかなか耳を貸してくれない。また記者クラブに加盟している大手メディアは政府を援護射撃するかのように、この問題に目をそらしてきた。

 一部の記者会見は開放されつつあるが、制約も多い。幹事社の了解が必要であったり、質問はできない――など。この閉ざされた制度の問題点について、ジャーナリストの烏賀陽弘道さんと窪田順生さんに語り合ってもらった。

新聞社の機能不全は1990年代末から


烏賀陽弘道さん

烏賀陽:国会議員は選挙区の代表ではなくて、国民の奉仕者。ジャーナリストも全体の奉仕者でなければいけない。新聞記者も新聞社の利益を代表しているのではなくて、市民の利益を代表し、権力者たちを追及していかなければいけない。

 中央官庁を皮肉って「省益あって、国益なし」という表現がありますが、新聞社も「会社益あって、社会益なし」ではないでしょうか。新聞社は「社内の利益が社会の利益」と勘違いしていますから。

窪田:確かに。

烏賀陽:ずっと新聞社で働いていると、こうした疑問を忘れてしまう。

窪田:彼らはエリートにも関わらず、やっかいなのは「自分たちは庶民だ」とも錯覚している。なので「社内の利益が社会の利益」だというすさまじい勘違いをしているのではないでしょうか。

烏賀陽:自己変革に失敗した新聞社が衰退するのは「勝手にどうぞ」という感じですが、損害は市民に来ます。一番喜んでいるのは権力を持った人たちでしょう。新聞による権力監視能力は著しく低下し、それに代わる代替組織が存在しない。こうした現象は1990年代後半から起きていて、そのあたりから検察庁の暴走が始まっている。

窪田:なるほど。

烏賀陽:福島県汚職事件(前福島県知事・佐藤栄佐久氏が収賄罪に問われた事件)があったときに、すでに検察庁は暴走していた。しかし報道の監視機能は作動せず、暴走を止めることができなかった。また大蔵省スキャンダルや外務省スキャンダルが火を噴いていたときも、記者クラブの監視機能は全く機能しなかった。

 新聞社の機能不全は1990年代末から始まっています。私たちはそうした「権力の監視空白」の中で20年間も過ごしている。もし今後も続くようだど、腐敗や暴走が加速するでしょう。新聞社が潰れるのはいいのですが、権力監視ができないのは大きな問題。

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