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コラム

なぜ被災者を受け入れたのか? 新潟県三条市の市長に聞く相場英雄の時事日想(3/4 ページ)

東日本大震災の発生後、いち早く被災者を受けれた自治体がある。それは新潟県の中央に位置する三条市だ。なぜ三条市は被災者の受け入れを決めたのか。國定勇人(くにさだ・いさと)市長に話を聞いた。

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「7・13洪水」支援への恩返

――南相馬市の皆さんを受け入れるきっかけは?

 大震災発生後の3月16日あたりで、福島県から新潟県に自主避難されてきた皆さんが増え始めた。その数がさらに増加するのは必至だった。我々としては、「7・13」※で全国から支援を受けた経験があるため、これはご恩返しをする良い機会だと思った。

※筆者注:2004年7月13日、新潟県中越地区で発生した大規模な集中豪雨により、河川の堤防が決壊。三条市は死者9人、重傷者1人、被害棟数1万935、被害世帯7511の甚大な被害を受けた。

 16日朝、避難所を4つ開設しようと準備を進めていた段階で、「南相馬からの避難者300人を今日中に受け入れられないか」と新潟県から電話が入った。

 当時、消防を緊急派遣していた宮城県石巻市から集団で被災者の受け入れを検討していたが、県からの要請はなにかのご縁だと考え、石巻からの皆さんがおいでになっても大丈夫な形を作った上で、南相馬からの300人をその日のうちに受け入れることを決めた。

 そもそものきっかけは、震災発生後に窮状を訴えた南相馬の桜井勝延(さくらい・かつのぶ)市長を知った泉田裕彦(いずみだ・ひろひこ)新潟県知事の行動だ。知事が桜井市長に直接電話で支援を申し入れたことから全てが始まった。

 行政の手続きを考えれば、泉田知事の行動は突飛だったかもしれない。しかし、非常時にいちいち手続きを気にしていたら、電話などそもそもかけられない。筋論で言えば、桜井市長ではなく、福島県知事を通すことが望ましかったかもしれない。しかし、泉田知事の行動に反論など出なかった。近年、新潟県は2度の大地震を経験した。被災した県同士、当たり前だという感覚を知事がお持ちだったのではないか。

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