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「書いたらその社は終わり」と言われ、なぜ記者は怒らなかったのか相場英雄の時事日想(1/2 ページ)

松本龍前復興担当相が、問題発言で引責辞任した。彼に大臣としての自覚が欠けていたのは間違いないが、その姿を目の前で見ていた現場記者の姿勢に問題はなかったのだろうか。

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相場英雄(あいば・ひでお)氏のプロフィール

1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『株価操縦』(ダイヤモンド社)、『偽装通貨』(東京書籍)、『偽計 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎』(双葉社)などのほか、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。ブログ:「相場英雄の酩酊日記」、Twitterアカウント:@aibahideo


 松本龍前復興担当相が大震災に絡む問題発言で引責辞任したことは記憶に新しい。彼の人物像や菅直人首相の任命責任は他稿に譲るとして、今回は松本氏が問題発言の中で触れた「オフレコ」について再考してみたい。

 松本氏に公人としての自覚が決定的に欠如していたのは間違いないが、筆者は彼の傲慢(ごうまん)な態度を放置していた現場記者の姿勢に関しても大いに疑問を感じる。政治家や経済人の“濫用”を防ぐ意味でも、オフレコについて考えてみたい。

オフレコの定義

 「今の言葉はオフレコです。書いたらその社は終わりだから」――。

 7月3日、松本前復興担当相が宮城県庁で村井嘉浩知事と面会した際に発した言葉だ。この言葉に至る前段階の乱暴な物言いが、松本氏の大臣辞任につながったわけだが、筆者はこのニュースに接した際の記者たちの様子に空いた口がふさがらなかった。

 テレビ映像を見る限り、知事応接室の壁際には、新聞やテレビの記者が数人取材していたが、誰一人としてこの発言に怒りをあらわにする人物がいなかった。それどころか、小さな笑い声さえ漏れ聞こえた。

 まず、松本氏と村井知事の面談はオープンなものであり、原則として「オフレコ」扱いではない。松本氏の常識が欠如していたということを除いても、記者という仕事柄、黙って見過ごせる内容ではないはず。

 もう一点。「書いたらその社は終わりだから」と露骨に圧力をかけられているにも関わらず、異論を唱える記者がいなかったことは、筆者の目には異様な光景に映った。筆者の古巣である時事通信社の手引書『用字用語ブック』から、「人名等の書き方/匿名にする場合」の項目を引用してみる。

 「ニュースの対象となる人や組織(学校、企業、官公庁、団体など)は実名で報道するのが原則であり、匿名扱いはあくまでも例外とする。しかし、未成年者の犯罪など法律の規定がある場合、書かれる人の名誉やプライバシーなど人権を損なう恐れがある場合、氏名を出すと本人や関係者に迷惑を及ぼす恐れがある場合などは、原則として匿名にする」

 他の新聞、テレビも同じようなマニュアルがあるはずだ。これを先の面談の場に当てはめれば、松本氏の言い分がいかに横暴かが分かる。

 松本氏と村井知事の面談は県庁の記者会や国会関係の記者クラブで予定が通知されていたはずであり、明確な「オープン扱い」。記者側がより深い背景説明を求める意味で、あるいは取材される側がより理解を深めてもらう、または露骨な情報操作を画策し、あらかじめ記者側と合意した上で行う「バックグラウンドブリーフィング」ではなかったはずだ。

 筆者は経済畑取材が中心であり、永田町の常識が欠如している。首相官邸や与党幹部の会見が一定の区切りを経て「バックグラウンドブリーフィング」に切り替わることがあると聞いたことがあるが、松本氏のようなケースでオフレコが適用されるとは聞いたことがない。

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