「書いたらその社は終わり」と言われ、なぜ記者は怒らなかったのか:相場英雄の時事日想(2/2 ページ)
松本龍前復興担当相が、問題発言で引責辞任した。彼に大臣としての自覚が欠けていたのは間違いないが、その姿を目の前で見ていた現場記者の姿勢に問題はなかったのだろうか。
怒らぬ記者などいらない
10年ほど前、筆者も同じようなケースに遭遇した。
ある経済官庁の定例会見で担当局長が口を滑らせ、「ここはオフレコでお願い」と懇願したのだ。もちろん、会見場に詰めていた記者全員が声高に「ノー」を突きつけた。同時に、内外の通信社の速報担当者は会見場から飛び出して速報を打ち、局長の発言を一字一句読者に届けたのは言うまでもない。
筆者は駆け出し時代、先輩記者から以下のようなことを厳しく教えられた。「会見や個別インタビューのアポが取れたら、オフレコは原則ナシ」。オフレコを強要されたら、特オチ(1社だけネタを逃すこと)でも構わないとさえ言われた。
先の面談についても当日、あるいは翌日にテレビや新聞で事実関係が報じられ、松本氏辞任の直接の原因になったのは明白だ。彼が強要した「オフレコ」は通じなかったわけだが、本来ならばあの面談の場で、顔を真っ赤にして怒る記者がいるはず、というのが筆者の率直な感想なのだ。
件の面談のあと、取材陣の間でどのようなやりとりがあったのか、筆者は知る由もないが、このうちの数人は上司に叱責(しっせき)されたのではないか。
SNSや動画サイトの発達とともに、政府要人やニュース素材となる人間の情報は、一次情報として一般の読者や視聴者の手元に届くようになった。換言すれば、取材する側の姿勢も同じように可視化されているのだ。
記者は読者や視聴者の代理である。横暴な権力者に接した際は、面談の場の空気を壊してでも怒る必要があるのではないか。その場で感じた違和感や怒りが、読者に届くはずだ。現場の第一線を離れた元同業者として、怒らぬ記者などいらないと声高に言いたい。
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