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インタビュー

10万缶の“パンの缶詰”を被災地へ、パン・アキモトの支援活動とは(前編)嶋田淑之の「リーダーは眠らない」(4/5 ページ)

保存食なのにふわっとおいしい――2010年のハイチ大地震のとき、子どもたちが「こんなにおいしいパンを食べたのは生まれて初めて」と喜んでいたのがパン・アキモトの「パンの缶詰」だった。東日本大震災発生後、社長の秋元氏は自社も被災していたにもかかわらず、現地へ10万缶のパンを送っている。秋元氏が考える、保存食によるソーシャルビジネスとは?

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「ガイアの夜明け」出演で状況が一変

 苦境に立ったパン・アキモトにやがて転機が訪れる。

 「4月12日に、テレビ東京の『ガイアの夜明け』で、震災発生以降のパン・アキモトの活動状況が詳しく放送されたのですが、これにはものすごい反響がありました。

 『このままではパン・アキモトが危ない! アキモトを助けろ!』と仲間たちがTwitterやFacebookで積極的に呼びかけてくれたのはもちろん、テレビを見たという全国各地のそれまで面識のなかった多くの方々から、かなりの額の義援金が送られてきたのです。

 震災直後の時期、国内外の方々がせっかく義援金を送っても被災者のみなさんの手元にほとんど届いていないことが問題になっていたわけですが、パン・アキモトにお金を送りさえすれば、パンにして被災地の方々に確実に届けてもらえる、だったらお金を送ろうと思ってくれた方々も多かったようです。

 送金だけではありません。わざわざ遠隔地から那須塩原まで訪ねて来られる方々も多く、しかも名乗ることもなく義援金をくださったのです。お名前をおっしゃらないので、せめてどこからいらしたのかだけでもお聞きしようとしたら、『横浜だ』とおっしゃる。ところがクルマのナンバーを見たら埼玉だった、とかですね(笑)。中には年金生活を送るご老人が、少ない中から一生懸命ご用意くださったケースもありました。

 そうしたみなさまのご厚意のお陰で、『集まった義援金』÷『缶詰の定価』で、パン・アキモトとして義援すべき個数を決められるようになり、また、それとは別に企業や団体などに缶詰を定価で買い取っていただき、それを東北に送るというスタイルもその後とれるようになって、経営的には最大の危機を脱しました」

 震災後、現在(6月末にインタビュー)に至るまで、トータルでどれくらいの個数を被災地に送ったのか?

 「そうですね……だいたい10万缶くらいです」

 秋元さんが被災地でパンの缶詰を届ける様子を私も映像で見たが、その光景はこれまで見てきた炊き出しや各種支援物資の配達シーンとはまったく異質なものであった。缶詰を開けてパンを頬張って食べ進めるうちに涙を流し始め、ついには号泣してしまったり、あるいは秋元さんたちが帰っていく後姿に対して神仏を拝むように合掌して瞑目したり……。

 秋元さんも言う、「パン1個を配っただけなのに拝まれるなんて……」。そのおいしい味の中に、被災者の方々に対する、作り手の強い愛情や優しさが感じられたのだろう。

 東北の被災地支援を継続する中で、パン・アキモトの従業員の意識も変化していったようだ。

 「従業員1人1人が自主的に、缶詰に被災者向けのメッセージを手書きで書くようになったんですよ。『ひとりきりじゃないよ! 私たちがそばにいるよ!』という内容が多いですね」

 7月現在、被災地の食料事情は地域による格差はあるにせよ、全体として見れば随分と改善されてきたようだ。それでも、「被災地の方々には今でも余震への恐怖が根強くあって、それゆえパンの缶詰を手元に残しておきたいと思う人が多い」と秋元さんは言う。秋元さんたちの東北訪問はこれからも続き、もっと多くの方々に“愛と優しさ”を届け続けることだろう。


被災地以外の企業から寄せられたパンの缶詰にもメッセージが書かれた(パン・アキモト提供)

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