石巻日日新聞は何を伝えてきたのか:相場英雄の時事日想(2/2 ページ)
被災者でありながら、壁新聞で情報発信を続けた石巻日日新聞。その記者たちが、『6枚の壁新聞』という本を刊行した。彼らの「ブレない」報道姿勢から、大切なものを学ぶことができるのではないだろうか。
ブレない
石巻日日新聞の記者たちを突き動かしたのは、石巻市や周辺地域が壊滅的な被害を受け、情報が遮断されて困惑する地元民の姿だ。自らが被災し、携帯電話など各種の情報ツールから遮断されたことで、読者がどれだけ戸惑い、混乱しているかを皮膚感覚で記者たちが察したからに他ならない。
そこで情報発信の大切さを痛感し、手書きの壁新聞の発行に踏み切った。同書では、その過程がつぶさに記されている。
在京のテレビや新聞が同社の壁新聞を“美談”として取り上げたが、彼らのドキュメントを読む限り、中央メディア目線の“涙モノ”の要素はゼロだ。よって、同書を「泣ける話」としてとらえて読み始めると、失望する。この書籍は、克明な震災の記録であり、読者が想像する以上に壮絶な内容を含んでいるからだ。
ただ、地元民のためというブレない姿勢はどの記者の手記にも共通している。先に当欄で新潟県三条市の國定市長のインタビューを掲載した(関連記事)。この中で國定市長は「どっちを向いて仕事をしているか」と強調した。同書を読んで痛感したのは、石巻日日新聞の記者たちがひたすら「地元民のために」という一貫してブレない姿勢を持ち続けていることだ。
メディアに携わる人間、そしてメディアを目指す若い世代は、同書に記されたすさまじい記者根性に触れる必要があると痛感した次第だ。誰に情報を届けるか。誰のために記事を書くのかという非常にシンプルな命題の答えが、同書にはぎっしりと詰まっている。
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