政治家が原発の安全性を判断することの愚:藤田正美の時事日想(2/2 ページ)
関西電力大飯3号機と4号機の再稼働問題が報道されるようになっている。その過程でいくつかの問題が浮上しているが、最大の問題は政治家が安全性を判断したことだと筆者は主張する。
保安院の問題とは
ここまでの経過で問題は3つあると思う。第一は、事故原因を津波による全電源喪失に限ってしまったように見えることだ。これまでのところ、地震によって損傷を受けたとは考えにくいとしているが、それはあくまでも「推測」でしかない。最終的には1〜3号機を徹底的に検証してみなければ分からないとする専門家も多いのに、やや拙速ぎみに事故原因を津波に限定してしまった。
第二は、保安院が策定した30項目の対策のうち、再稼働前に実施していなければならないのは15項目というように限定したことである。そして深野院長は、誰が責任をもってこの30項目を15項目にしたのかということをついに明確に発言しなかった。恐らくは政治の意図を忖度(そんたく)して保安院が最低この15項目で安全性はそれなりに確保されていると進言したという経緯なのだろう。すなわち、安全性の確保が政治的になされたということである。
第三は、保安院は原子力規制官庁として生まれ変わることなく、相変わらず、政治の行くところを忖度しているように見えるという問題だ。本来、規制官庁としての役割を果たそうと思えば、安全上必要と考える条件について妥協はしない。それは原子力の安全を国民から負託されている官庁として「背信行為」になるからだ。自分の職を賭してでも、条件を緩めることに抵抗することが求められている。もちろん保安院がそういう立場にならないように(つまり原子力推進の障害にならないように)経産相は利益相反という批判を無視して保安院を独立規制庁とせずに自分たちの中に取り込んだという経緯がある。
それでも3.11を経験し、世界でも最悪の部類に入る原子力事故を起こしてしまった以上、そして原子力規制庁に衣替えすることが決まっている(法律的はまだ成立していないが)以上、保安院としての意識の変化があるべきだと考える。深野院長も意識改革については言及していたが、この再稼働をめぐる保安院の立場を追及されて、意識変革はまだまだ道のりが遠いと思わせてしまった。
政治家が安全であると判断したのは問題
ただ一番重要な問題は、政治家が安全であると判断したことだと思う。本来、安全性の問題は政治的に判断すべきことではない。さまざまなデータに基づいて、リスクが十分に小さいことを専門家が判断するというのが筋である。それでも100%安全ということはないから、政治家がそれを国民に説明し、国民を「安心」させるというプロセスが必要だ。
それなのに、今回の再稼働問題は専門家による判断を仰がないままに(内閣府に置かれている原子力安全委員会は判断していない)、政治家が決めてしまった。フクシマの1つの大きな問題は、想定外のことは起こりえないという神話に専門家、政治家、官僚そして国民もどっぷりと浸かっていたことだ。それを正すには、リスクをどう考えるのかということをもっと国民的に議論しなくてはならない。なぜならば、従来とは安全に対する考え方をすっかり変えなければならない時には、それこそ国民的な広がりのある議論が必要だからだ。
そこまでせずに電力不足で「集団自殺」などという根拠のない脅しまで使って「再起動まっしぐら」というのでは、それこそ野田内閣自体がメルトダウンしてしまうことにもなりかねないと思う。
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