“自分の表現法”と出会う:ちきりんの“社会派”で行こう!(2/3 ページ)
「プログラミングを知ったことで、自分に適した表現方法に出会えた」というphaさんの言葉をきっかけに、世の中に存在する表現方法の多様さに改めて気付いたちきりんさん。自分に合った表現方法を探すことが大切ではないかということです。
自分を表現するツールはこんなにある
人間はみんな、自分の中に“何か”を持っています。それは、何らかの表現方法を通して具現化しないと他人には伝わりません。伝わらないと理解してもらえなし、それどころか、表現方法というフィルターを通さないと、自分自身でさえそれが何なのか意識できなかったりするのです。
誰かに自分のことを伝えたい、誰かに理解してほしい、自分自身、今、自分の中にあるものを理解したい、というのは、誰もが持つ自然な衝動です。
だから、その自分の中の何かをうまく、「ああ、これなんだよ!」という感じで表現しうる方法やツールを手に入れられたら、みんなとても幸せなはず。
自分を表現するツールとしては例えば……
- 話し言葉(表情とか含む)
- 書き言葉(散文)
- 短歌・俳句、詩、コピーのような言葉、韻文
- 演芸(落語、漫才、ダジャレ?)
- 写真
- 絵
- デザイン、意匠
- 楽器
- メロディ、曲、リズム
- 声
- 体(踊り、劇、体操的なもの、いろいろ)
- 映像
- 料理
- プログラム
- 創造物(建造物、モノ、現代アートみたいなもの含む)
- 働き方(?)
- ビジネス
……など、結構いろいろあるんです。
考えてみるとこれらの大半は学校で、しかも義務教育のかなり早い段階でひと通り体験することです。作文書いて、絵を描いて、韻文も作ってみたり、歌も歌って(なぜか)笛を吹いて、運動会では踊らされ、文化祭では演技もします。
そうか、あれって「あなたにとっての表現方法を見つけなさい」っていう教育だったんだな、と思いました。何か1つくらい自分にぴったりな「自分を表現する方法が見つかればいいよね」という、そういう教育課程なんだと気が付いたのです。
プログラミングは今の小学校のカリキュラムにはなさそうですが、それが個人の表現方法になり得るのなら、ぜひとも早めに子どもたちにも体験させた方がいいですよね。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.