“図解”から“図観”へ――マンダラに学ぶ情報の視覚化(4/4 ページ)
「図解」が1つのリテラシーとして注目されつつあるが、さらにその発展形として「図観」というものを「マンダラ」をキーワードに考えてみたい。
「マンダラ化」とは図観=図によって物事を観る作業である
さて、この「種」によって、どんどん挑戦が重ねられるという経時的な目線を入れると、図がさらに展開を始め、「リスク」という概念についての1つの世界絵、つまり「マンダラ」ができあがってくる。それが図4だ。
1回目の挑戦(チャレンジI)を終えて、2回目の挑戦(チャレンジII)にいくとどうなるか。挑戦した人間は「獲得資産I」を得るし、挑戦しなかった人間は「後悔I」が残る。チャレンジIII、IV、Vと進むにつれ、それぞれ獲得資産がIII、IV、Vと積み上がっていき、後悔III、IV、Vと膨らんでいく。前者は言ってみれば、「勇者の上り階段」であり、後者は「臆病者の下り階段」である。このような図を私は「マンダラ」と呼んでいる。
1つの概念の定義化からマンダラ化まで思考作業を深めてくると、その概念についての理解がとてもふくよかなものになる。そして自分なりの解釈を絵図として把握することができる。マンダラはある部分、主観的な切り口によって描かれるので、たいてい作品としての個性が出る。しかし、マンダラを通してとらえようとするのは、あくまで普遍的な本質である。それはまさに「図によって観ること」(=図観)である。
情報を図化する世界は、地図やダイヤグラム・チャートのように具体的なデータや数量を簡潔に表す方向があるのと同時に、モデル図や「マンダラ」のように概念を抽象化していってそれを一幅の絵図に収める方向がある。前者は「一見してのわかりやすさ」を求め、後者は「豊かな理解」を求めるものとなる。(村山昇)
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