検索
連載

知ってますか? 東京駅の意外な歴史知っておきたいニュースな言葉(2/4 ページ)

復原工事をしていた東京駅が、“新たな顔”としてスタートする。通勤などで東京駅を利用している人は多いと思うが、東京駅の歴史を知っている人は少ないのでは。そこで営業を開始した大正時代にスポットを当て、東京駅がどのように設計されたのかを紹介しよう。

PC用表示 関連情報
Share
Tweet
LINE
Hatena

駅舎は4つ

大手町:その後、銀座に駅を……という案はなくなったけど、ドイツ人の案を引き継ぐ形で別のドイツ人が新たな計画を立てたんだ。彼の名前はF.バルツァー。中央停車場駅は東海道線と東北線を結び、山手線に連結し、総武線と中央線を乗り入れて通過させる。さらに日本中の鉄道網は中央停車場に集約される、という画期的なものだった。

 でも……駅舎の設計がイマイチだったんだ。下の写真を見てもらえるかな? 中央停車場は4つの駅舎からできているけど、それぞれ役割があったんだ。例えば一番右のモノは、どのような使われ方を考えていたと思う?


F.バルツァーが設計した中央停車場駅。写真は9月23日に開かれた東京ステーションフォーラムで使用されたもの

マコ:なんでしょう? 一番大きな駅舎だし、山の手線を利用する人の改札かな。

大手町:建築家の藤森照信さんによると、ここは長距離鉄道用の入口だったんだ。

マコ:え? ということは出口もあるということですか?

大手町:一番左の駅舎が出口。入口と出口を別々にしていて、その距離は300メートル以上あるんだ。実際にこの駅舎が完成していれば、使い勝手はどうだったんだろうね。

 では中にある2つの駅舎は、どのような形で使われる予定だったと思う?

マコ:長距離用が左右にあるんだから、近距離用のはず。右にある3番目に大きいのが入口で、左の一番小さいのが出口!

大手町:残念。左から2番目にある駅舎は近距離用だけど、ここは出入口用。右から2番目のモノは皇室用で、外国から大使などがやって来たときにはココを利用する予定だったんだ。駅舎の前をよーく見てごらん。馬車まわし(馬車をつけるところ)が設計されているからね。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る